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2006年4月

2006年4月30日 (日)

大人気のプリッツ

 うちの2,3軒隣りに教会がある。ここは他と様子が違っていて、エレクトーンやドラムなんかでどんちゃん演奏をしながら、リーダーらしき人はマイクを使って、テンポの速い讃美歌を随分騒がしく歌っている。サブサブでの最初の日曜日、てっきり何かのコンサートかと思ったほど。そして昨日、今日と早朝5時からいつもより少しだけ控えめに歌い始めてくれたものだから、すっかり目覚めてしまった。ベッドでうるさい、うるさいよーとぶつぶつ言いながら、信仰心って何なのさ?と考えてしまった。

 お昼前、ずーっと歌っているその教会をにらみつつ、ワイサレんちに行く。今日はエレノア(お母さん)の両親が、遠くの村からやって来ていた。大勢で食べるフィジアンの家庭料理はやっぱりおいしくて、またまた食べ過ぎる。その上、エレノアがココナッツミルクと完熟バナナで作ったアイスまで…いつもごちそうさまです。

3_5  今日は実家から送ってきたプリッツと黒糖かりんとうを持って行った。インド菓子でかりんとうとほとんど同じものはあるけれど、プリッツのような形のお菓子はこの国にはない。子どもたちだけじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃんにまでプリッツはかなりヒットしたらしく、2箱があっという間になくなってしまった。日本のお菓子のご丁寧な個装なんて、ここでは全くもって必要なかった。写真は家まで送ってくれたエレノアのおじさんとワイサレ。

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2006年4月29日 (土)

一等地にある家

 あんまり天気が良かったので、急に思い立ってバスに乗って海に行く。今回の目的地はブルーラグーン。日本語ペラペラのアメリカ人、ジェームスさんにずっと前に勧められていたけれど、まだ行っていなかった。

2_16  タウンから20分で到着。白い砂浜で、遠浅の珊瑚礁の中心にブルーラグーンがあった。本当にきれいな眺め。貝殻を拾ったり、写真撮ったり、木陰でぼんやり海を眺めていたら、うちの学校の生徒、ナイという女の子が走ってやって来た。泳ぎに来ていたのかと思ったら、この海辺にぽつんと1軒だけ建つ家が彼女の家らしい。先月、学校に来たナイのお母さんが、家の前がきれいな海だから週末に遊びにおいで、と電話番号を教えてくれたばっかりだったので、びっくりした。

 思いがけずナイの家に行き着いて、まずは両親とおしゃべりしながら紅茶をいただく。信仰深くて、タバコもお酒もそしてヤンゴナさえも一切やらないというフィジアンと思えないお父さん、セミシもいい人だけれど、何と言ってもお母さん、スサナがまたとってもすてきな人で、私は大好きになった。それから、ナイの2人の弟たちと砂浜で思う存分遊んだ後に、魚のココナッツ煮とブレッドフルーツのお昼ごはんを食べさせてもらう。任地がサブサブで運が良かったなぁとつくづく思ったのでした。

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2006年4月28日 (金)

オープンデー

 今日は学校のオープンデーだった。授業参観と学習発表会とバザーが全部一緒になって、もの凄く慌しかった。この日のために前々から準備、なーんて計画的なことをフィジーの人たちがするはずもなくて、忙しかったのは昨日だけ。1時間半も残業したのは、多分初めてのことだった。あー、やっぱり、帰国後まともに働けないなぁ。

 私たちの作業学習のクラスではココナッツの葉を使ったうちわ作りと、折り紙で花作りを披露した。自分たちが作ったバッグやテーブルクロスも結構売れたし、誇らしげにしている彼女たちを見て、よかった、よかったと心から思った。

1_34  学校の運営資金を得るために行われたバザー、“Bring and Buy”。売るものは家で採れたバナナ、パパイヤ、イモ類、野菜など、それからお母さんたちが焼いたパイやスコーンを生徒や親たちが持ち寄る。投資、ゼロ。すばらしき、ケレケレ(ものやお金がある人はない人に分けて当然、というフィジー文化の根底にある助け合い? おねだり?システム)。

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2006年4月26日 (水)

断水にげんなり

 学校から20分歩いて、汗だくになって帰宅したら、水が出ない。まただ。断水って何でこんなにも、がっくりするんだろうか。しかも、今日は手を洗ったり、歯磨きする程度の水しか溜めていなかったので、水浴びもできずに復旧を待つしかない。毎日帰宅したら、何はともあれシャワーで汗を流すことが日課の私は、一気に何もしたくなくなる。しばらく、不貞寝する。10時になっても、11時になっても復旧せず、汗臭いまま、今夜はソファで就寝。

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2006年4月25日 (火)

セレビがやって来た

1_33 フィジーラグビー界のスターであり、国民的英雄でもあるワイサレ・セレビが学校にやって来た。何でもうちの校長とは彼が無名の頃からの古い付き合いらしく、他の学校を訪問するためにサブサブに来た彼を、今朝のフライトで帰る前に呼び寄せたらしい。やるじゃないの、マリアさん(校長)! 生徒たちだけじゃなくて、先生たちも大喜び。いや、むしろ、先生たちの方がはしゃいでたなぁ。噂を聞きつけた村の人たちも集まって来て、すごかった。

 セレビは飛行機を30分以上待たせていることなんて気にする様子もなく、子どもたちに自分がフォーム4(日本の高校1年生にあたる)の試験をパスできずに退学して、ラグビーに専念したことなんかを、熱く語ったのでした。帰り際、折り紙で作った飾り物を渡したら、日本で数年間プレーした経験のある彼は、「ニホン(ノ)、ドコ?」と尋ねてきた。「長崎です。」「オォー、ナガサーキ。」「どこか、分かりますか?」「(フィジー語で)日本語、忘れちゃった。」「ははは。」「これ(折り紙)、娘たちが気に入ると思うよ。」と、気さくなスターなのでした。

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2006年4月23日 (日)

成長するワイサレ

 先週の日曜日はリゾートに行っていたので、ワイサレんちを訪ねるのは2週間振り。今日もいつものように温かく迎えてくれる。落ち着くなぁ、この家。昼ごはんはココナッツミルクで煮た魚とオタ(山菜のようなもの)、そしてブレッドフルーツとキャッサバ。食事中、私は「ほんっとにおいしい!」と何度も繰り返した。

1_36  ワイサレが家の中をよちよちと歩き回るようになっていて、びっくりした。2週間前はほんの3、4歩だったのに。外に行きたくてたまらないけれど、まだ階段を降りるのは怖いようで、ドアのところに座って一所懸命に外を眺めていた。いや~、この子はかわいすぎる!!

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2006年4月22日 (土)

こんな時に…

 サブサブには私の他に、日本人が5人住んでいる。1年半くらい前に移住してきて、1月末からクルーザーズという日本食とシーフードのレストランをやっている図越(ずこし)さん一家である。レストランの評判は良くて、最近はめっきり忙しくされている。

 午前中、市場に行ったついでにそのレストランにも寄って、実家から届いたお菓子をおすそ分けに行く。そこで、子どもたちと午後から一緒に泳ぎに行くことになった。午後、お母さんがディナーの仕込みをしている間に、お父さんと子どもたち3人と一緒にボートに乗って、レストランのすぐ向かいの小さな島に泳ぎに行った。サブサブ特産の黒真珠を養殖しているところである。タウンに面した湾なので、海のきれいさはそこそこ。

 そこに着いて泳ぎ始めたらすぐに、もの凄い雨が降り出した。ほんの数メートル先も見えないような雨の中、私たちはシュノーケリングをしていた。1番下の4歳の女の子だけ、お父さんにしがみ付いて、半べそ。そして、あっという間に晴れ上がって、じりじりと背中を焼かれた。

 帰る時にレストランでシャワーを浴びて行ったら、と言われたけれど、着替えを持って来ていなかった。「最近、断水が多いんで、帰って水が出なかったら最低ですけど。」などと言いながら、濡れたまま15分ほど歩いて帰った。大家さんちのラリータが不機嫌な顔でテラスに座っていた。もしや…と思ったら、「水が止まって、何もできない!」とラリータ。今週は夕方から深夜にかけての断水が多い。海水でベタベタの私は、何もこんな時に…とがっかりしながら、ペットボトルに溜めておいた水でちまちまと行水をしたのでした。すっきりしないんだなぁ、これが。

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2006年4月20日 (木)

待ってました!

 実家から荷物が届いた。郵便物の配達サービスがないのでちょっと面倒だけれど、昼休みに学校を抜けて意気揚々と郵便局に向かった。居眠りをしていた税関のおっちゃんを起こして、荷物を探してもらう。能率なんてお構いなし、いつも見事に散かっているので、時間がかかってしょうがない。こっちが先に日本の文字が書かれた段ボール箱を見つけて、カウンター越しに「あれ、あれ。」と教える。いつもなら、それから容赦なく箱を開けられて中身をチェックされるのに、今回はおっちゃん、眠そうにだるそうにサインだけして、渡してくれた。

 自分への贈り物ならやっぱり自分でわくわくしながら開けたいものでしょ、誰だって。税関の何が嫌かと言えば、その楽しみを横取りされる上に、ぐちゃぐちゃにされること。それが彼らの仕事だけれど、ちょっと倫理がないんじゃないの?!と思ってしまう、やり方なのである。

 さてさて、今回の箱はでっかかった。私がお願いしたものはどれも10個単位で入れてあるし、お世話になっている家の子どもたちに持って行くようにと日本のお菓子もいっぱい入れてくれていた。当たり前だけれど、親にとって子どもはいくつになっても子どもなのだと、しみじみ思った。お父さん、お母さん、ありがとう。

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2006年4月19日 (水)

フィジアンの知恵

2_14 今日は生徒のお母さんたちがやって来て、ココナッツの葉を使ったうちわ作りと、ボイボイを使ったテーブルマット作りを教えてくれた。フィジーの伝統手工芸とは言え、今はできる人が少なくなってきているらしい。村に住む“プロ”の手さばきを飽きずにずっと見ていた。フィジーのどこにでもある天然素材を使った、立派な知恵だと感心しっぱなし。

1_32  これ、生徒が初めて作ったうちわ。使ったのはココナッツの葉、20枚だけで、数日間天日で乾かしてできあがり。かっこいいでしょ!

 今日、ミクロネシアからハガキが届いた。送り主は日本語教師として、同じ組織でボランティアをしているM。派遣前、訓練所で英語のクラスで一緒だった。彼が記した日付は2月2日、そして消印は4月6日。うーん、郵便局に行くのもままならないような所で暮らしているのか、それとも彼が不精なだけか・・・石貨に寄りかかった少年の写真を見ながら、ミクロネシアをあれこれ思い浮かべてみた。

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2006年4月17日 (月)

ナナヌイラ島 最終日

 昨夜から強い風が吹いている。今日で4連休も終わり。本島に向かうボートは11時半出発。ぴったりその時間にチェックアウトに行ったら、スタッフが「何でもっと早く来ないの? ボート出たよ。」と言う。しかも、11時に。2人で「え~?! フィジータイムじゃないの?」と悪あがきをしたけれど、どうしようもない。次の便は17時だと、どんどん突き放される。昨日尋ねたら確かに11時半って言われたのに、今朝ちゃんと確認すればよかった…これからクミ村(以前、ホームスティした村)に行くのにどうしよう…と途方に暮れる私の横でUちゃんは「そう? 大丈夫だよ。」と余裕の表情。大物だ、この人。

5_2  結局、元々片道10ドル(700円)のボート料金に加えて、1人5ドルずつ出して、ボートをチャーターした。荒れた海をすごい潮をかぶったけれど、周りの景色を眺めながらの移動は思いの外楽しくて、乗り遅れてよかったのかも、と思った。

 そして、いつバスが来るのか当てもなく、炎天下の中バス停まで15分ほど歩く。思ったより早くバスがやって来て、クミ村のお父さんと会う予定の町にも順調に到着。はたまた、ここでお父さんの携帯電話が圏外で連絡が取れずに、2時間の待ちぼうけの後、結局タクシーでクミ村へ。フィジーで旅行する時には、きっちりした予定なんか立てず、現地人からの情報も信用しすぎず、それでもってどれだけでも待つ心意気と心の余裕がとても大事だというのが、今回得た教訓。

 お父さんから私が来ることを知らされていなかった家族はびっくりしていたけれど、突然やってきても、いつも大歓迎してくれるこの村の人たちは本当に温かい。

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2006年4月16日 (日)

ナナヌイラ島 3日目

 この島に持って来た唯一の文庫本、遠藤周作の「結婚」。来週、大学時代の友達の結婚式があって、そこでスピーチする友達が私のメッセージも一緒の読んでくれると言うので、何かそのヒントになるかなぁと思って選んだけれど、目的を果たせないどころか、リゾートで最も読むべきでない本の1冊のようだった。旅のお供の本選びは次から慎重にしようと、固く心に誓ったのでした。

 海水シャワー3日目、体中を泡ぶくで洗いたくてたまらなくなる。Uちゃんは今日もよく泳いでいた。そして、シャワーを浴びる前にベッドで眠ってしまった。隣のベッドで本を読みながら、彼女の水着に付いている砂が気になっていたところ、あーー寝返りしちゃったよ。数時間後に起き上がった彼女は「お漏らししたみたいじゃん。」と自分のベッドを見下ろして言った。自由になったね、Uちゃん。

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2006年4月15日 (土)

ナナヌイラ島 2日目

3_4  何もないナナヌイラ島で泳いだり、昼寝したり、お茶飲んだり、本読んだり、他愛ないおしゃべりをしたり、とことんのんびり過ごす。

 ただ1つ、ココナッツの木の下を通る時だけは緊張したなぁ。実際、結構な頻度でズトン、ズトンとココナッツが落ちていた。あんなのに当たったら大怪我で済まずに、最悪死んでしまう。びくびくしながらも、Uちゃんともし当たったらどんな言葉を残すか、シュミレーションをして遊ぶ。

 この島の痛いところは、水道設備がないところ。この島に限らず、フィジーのたいていの小さな島はそうだということを、私は今まで知らなかった。シャワー、洗濯には海水と雨水を混ぜたものを使い、お茶を飲む時は雨水を沸かした。泳ぎ疲れてシャワーを浴びても結局ベタベタ?しっとり?して、すっきりしない。

 昨日から食事は持参したパンやバナナ、クラッカーなどで済ませていたけれど、今日の夕食は宿のものを食べた。白人に囲まれ、大音量の音楽が流れるビーチでバイキング。Uちゃんはこの島に着いてから何度も「戦争に負けた気分だ。」と言っていた。現地人スタッフとフィジー語を混ぜながら話すとほっとする。何だろう、この感覚は? 何だかんだ言って、知らず知らずのうちにフィジーにもフィジーの人たちにも愛着が湧いているようだ。

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2006年4月14日 (金)

ナナヌイラ島 1日目

 今日からイースター4連休! 同期Uちゃんとラキラキ・ナナヌイラ島を目指す。そう言えば、フィジーでの旅行らしいものはこれが初めて。途中から舗装されていない、その名もキングスロードをガタゴト満員のバスに揺られて4時間。ナナヌイラ島へのボートが出るエリントン岬で降りるはずが、そこを知っているというインド人男性が「まだ、まだ。」と言うので、もうそろそろのはずだと焦っているうちに、他の乗客に「もうとっくに過ぎたよ。」と言われる…。どうしてよく知らないことを適当に、しかも自信満々で口にするのか腹を立てながらも、「ありがとうって言った方がいいよね?」と言うUちゃんに従って、彼にありがとうと言ってバスを降りる。その直後、タクシーに乗る前に料金を交渉したのに、運転手が車中、「あと1ドル(70円)。」としつこく言ってくることにうんざりしつつも、私たちを待っていてくれたボートを見つけて、ほっとする。

2_13  ボートで15分、ナナヌイラ島に到着。割と近くに本当が見えるので離島にいる気が薄れるし、白人ばっかりで何だか居心地が悪いけれど、海はきれいだし、何と言っても4人用のドミトリーを予約していたけれど、結局Uちゃんと2人部屋をあてがわれてセット!

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2006年4月13日 (木)

国会議員か農夫か

 会議のために、首都スバに行く。この街はいつ来てもせわしない。もの凄い排気ガスを吸いながら、バスを乗り換えて片道1時間もかけて毎日通勤している同期Uちゃんに心から同情してしまう。それだけでも、あなたは偉いよ。

 ゆったり、のんびりしたサブサブでのほほんと暮らしている私も、スバに来たら気を引き締めて街を歩く。そんな街の真ん中で信号待ちをしていたら、1人のおばさんが話し掛けてきた。私が今していることを一通り話すと、そのスーザンというおばさんは「この国にボランティアに来てくれて、ありがとう。」と言ってくれた。同じ話をしても、「給料はいくら?」と単刀直入に尋ねてくる現地人が多くて、ボランティアしている、そのこと自体にありがとう、なんて言われたのは初めてだった。ただ感激した。何かと思い悩んだり、ここに来た目的さえ見失いそうになることがある中で、スーザンのような人に出会えて、本当に救われた気がした。

1_31  夜、フィジー人のお父さんに食事に連れて行ってもらった。お父さん、何と長年勤めた中央省庁を先月退職して、国会議員選に出馬していた。びっくりしたけれど、そう言えば先月会った時に大臣になるとか、ならないとか話していたので、私が話をよく理解できていなかったらしい。食事中に「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン」(馬の鳴き声が父の携帯の着信音)と首相から直接電話が入ったり、忙しそうにしていた。もし落選したら、村に戻って農夫になるらしい。そっちの方が幸せそうだなぁ、なんてぼんやり思ってしまった。

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2006年4月11日 (火)

心配なのです

 3連休明けで、生徒も先生もみんな揃って「だるい、だるい」ともういいよ、というくらい言い続けていた。確かに、だるい。とは言え、ここでは始業8時で、昼休みは実質ないにしろ、終業3時半で残業なんて一切なし。日本で働いていた頃を考えると楽ちん過ぎる。のんびりしすぎる、悪く言ってしまえば怠け者の同僚たちに、初めの頃こそ無駄にイライラしていたけれど、すっかりそのペースに馴染んでしまった今、帰国してから果たして社会復帰できるか、心配でたまらない。

 午後から校長自ら、昨日までやっていたラグビーの国際大会、シンガポール・セブンスを録画したものを見ようと言い出して、授業が全部つぶれた。大きな大会があると、毎回こうなる。この大会には日本も参加していて、フィジーとの対戦もあった。日本は全く得点できず、フィジーの貫禄を見せ付けられた。校長は、「日本も他の国との試合ではいいところがいっぱいあって、前より強くなったよ。」とフィジーのラグビーが世界的に強いことを誇らしそうにしながら言っていた。

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2006年4月 9日 (日)

産まれたての赤ちゃん

 今日は年に1度、子どもたちが教会で礼拝を取り仕切るChildren's Sundayで(毎年、イースターの前の週)、ワイサレのお姉ちゃん2人も演台で聖書を読むというので、久し振りにヤロイ村の教会に行った。白いドレスを着て、胸に赤い花を付けた彼女たちの立派な姿を見れたのはよかったけれど、大人がやっても子どもがやっても延々と続くフィジー語での礼拝はやっぱり訳が分からず、長~く感じた。

 教会の後、いつものようにワイサレの家に向かっていたら、同じ村に住むミリに、今日はうちでごはんを食べなさいと強く誘われる。ミリは私の養護学校の隣りにある小学校の小さな売店のおばちゃん。以前にもごちそうしてもらったことがあるし、とても親切にしてもらっている。エレノア(ワイサレのお母さん)と約束していたし・・・といかにも日本人らしく考えていたら、ミリが直接エレノアに話をしに行って、セット。

1_30  ミリの家で20人くらいの親戚とわいわい言いながらごはんを食べる。今日は特別な日だから、すごいごちそうだった。みんながごはんを食べている、そのすぐ横にあるベッドにミリの妹とその赤ちゃんが寝ていた。生後3日の女の子。病院で出産して、翌日には退院したらしい。生後3日の赤ちゃんがどれくらいの大きさか、私はよく分からないけれど、この赤ちゃんはどうやらでっかいらしい。それにしても、かわいかった。産まれた時はみんな肌の色は同じなんだということは、私にとって新しい発見だった。

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2006年4月 8日 (土)

8時間バスの旅

 今日から3連休。同僚と滝を見に行く予定だったけれど、彼女の都合でもう何度目になるか分からない延期になった。でも、せっかくの連休をぼんやり過ごしていたらもったいない。そこで、バスに乗ってどこかへきれいな海を見に行くことにした。

2_12  何時にどこへ向かうバスが出るか、分からないままバスターミナルに行ってみると、ちょうどナプカ行きのバスが出るところだった。それは海沿いを走って、私がいつか行きたいと思っているタベウニ島やランビ島の方角の半島の先端まで行く。運転手にどこで降りるか決めていないので、料金は降りる時に払うことを了承してもらって、ほぼ満員のバスに乗り込んだ。

 バスに乗って15分ほどで、きれいなブルーラグーンが広がった。遠くまで珊瑚礁が続いていて、本当にきれい。吹き込む風も最高に気持ちいい。せっかく遠くに向かうバスに乗ったので、欲張ってもっと遠くの海を目指すことにした。それから15分もせずに、舗装されていない細くてガタガタした道になった。もうちょっと先、もうちょっと、と思っていたら、すっかり山道になって見えるのはフィジアンの村ばかり・・・やってしまった。次に海が見えたら降りようと思いつつ、結局バスにガタガタと4時間も揺られて、終点に着いてしまった。

 隣りに座ったフィジアンのおばちゃんがナプカの海はきれいだと教えてくれたけれど、その辺りはここ数日、大雨続きで道がひどい状態で、ナプカのひとつ前の村、カロコで引き返すことになった。その近くでも海は見えたけれど、まるでチョコレート色だった。

 運転手が、これが今日最後のバスだと言うので、彼がお弁当を食べる10分間の休憩の後、また同じバスでサブサブに帰るしかない。タウンから1日2便しかないバスで片道3時間、4時間かかる村での暮らしはどんなものだろうか、などと考えながら車窓を眺めるのは飽きなかった。タベウニ島もランビ島も遠くに見えた。10時半にサブサブを出たバスは、19時半にまた戻って来た。この8時間のバスの旅はとっても贅沢だった。満足感でいっぱいでバスを降りたら、さすがにそんなに長く座りっぱなしだった足がおかしなことになっていて、ぎこちなく歩いて帰った。

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2006年4月 6日 (木)

月間報告

 月1度の職員会議では、1人ずつ前の月の報告をしなければならない。これは会議で結局自分ばっかりしゃべって意味がないと常々思っていたらしい校長が、今年になって取り入れたこと。確かにそうだった。けれど、校長はそう気付きつつ、2時間以上しゃべり続けるものだから、みんなますます早く終わらないかなぁと心ここにあらずの状態になってしまっていた。

 先月は私は校長と一緒にクラスを担当しているのでレポートを連名にして、発表を免れた。でも、今回はそれぞれに発表することになっていたので、私はもう1週間も前から緊張してしまっていた。上達したとちっとも思えない英語と格闘しながら、何とかレポートを2枚書いて、昨日、同僚にチェックしてもらった。

 そして、今日。私の番が回ってきた。私がまず、深呼吸をしたらみんな笑っていた。そして「Kerekere, vakalologo vakavinaka.(注意して聞いてちょうだいね)」とフィジー語で言ったら、また笑った。そうやって空気が和んだものの、たった5分くらいの発表ですっかり汗だく。英語、うまくなりたいなぁ。

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2006年4月 4日 (火)

2重跳び名人

 大学時代の友達Aから小包が届いた。和菓子や餅、緑茶、青汁の粉、文庫本、折り紙・・・どれもこれも嬉しくてたまらず、日本から荷物が届いた時いつもするように全部並べてしばし眺める。あぁ、幸せ。

 それらの中で、送ってほしいものはないかと何度も何度も何度も言ってくれた彼女に私がリクエストしたものの1つが縄跳び。体重が右肩上がりなので、いい加減にどうにかしないとと思ってお願いした。

 彼女が選んでくれたのは、持ち手におもりが入っていて、それによって脇が締まって、腕を自然と定位置で動かせるようになって2重跳び名人になれるという、優れものだった。すばらしい! これからは私を名人と呼んでください。こんな友がいて、幸せです。A、本当にありがとう。

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2006年4月 2日 (日)

初めての3歩

 いつものワイサレんちでの、のんびりした日曜日。昼ごはんはたいてい、魚とダロの葉をココナッツで煮たものだけれど、エレノアさん(お母さん)が「いつもロロ(ココナッツ煮)じゃ、飽きるでしょ?」と言って、今日はラムネックとベレという、加熱すると粘りが出るモロヘイヤのような野菜のスープを作ってくれた。これが絶品で、「Kana vakalevu.(いっぱいお食べ)」と言われるままにアサエリさん(お父さん)と同じくらい食べてしまった。

1_29  昼ごはんの後、アレノアさんにつかまり立ちしていたワイサレに「歩いておいで。」と手を差し出したら、にこにこ笑いながら1歩踏み出して、また1歩、そしてもう1歩歩いたところで私の手をつかんだ。これが彼が初めて歩いた瞬間だったらしく、みんなで大騒ぎ。昼ごはんの時に「私の甥っ子、3~4メートル歩くようになったみたいよ。」と話したら、「ワイサレは食べ過ぎて、重くなってばっかりだもんね。」とエレノアさんが笑って言ったばっかりだった。

 私がサブサブに来た時、ワイサレはまだ生後3ヶ月で、ハンモックに寝ていて初めて見た時、かわいすぎてまるでお人形みたいだとびっくりした。その彼がもう歩くようになったんだから、時間が流れるのが本当に早い。立ったり、足を踏み出すのが楽しくてしょうがない様子のワイサレを見ていて、その成長振りに今日は感動すらしてしまった。

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