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2006年7月

2006年7月31日 (月)

お届けもの

 始業前にうちの学校のすぐ隣の小学校に通っているワイサレのお姉ちゃん、ティマが、教室で授業の準備をしていた私のところにやって来た。何かと思ったら、昨日食べ損ねたココナッツ・スコーンをフィジーではおなじみ、アイスクリームの2リットル容器(たくさんの生徒がこれをお弁当箱として使っている)に入れて持って来てくれたのだった。「お母さんがこれ、食べてって。」と。エレノアはとことん心優しい人だなぁ、と感動する。早速ふたを開けたら何とも幸せな、ココナッツのふんわり甘い匂いがした。昨日、本当は食べたいんだけど、と言い残して帰った私は、すごく惜しい顔をしていたんだろうな。午前中の休憩時間に、同僚と分けて食べた。言うまでもなく、うまい。エレノアのスコーンは1からの手作りで、薪を使って焼き上げる、手間暇のかかる最高級贅沢品だと思う。

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2006年7月30日 (日)

頭、撫でたい

 8時過ぎまでゆっくり寝たのに、体の芯が重たい感じ。何はともあれ、ごはんを食べて、シーツを洗おうとしたけれど、どんよりした空をしばらく眺めて迷った挙句、中止にする。ソファに横になって本を読んでいたら、またまた眠くなって、ベッドに移動して2時間本気で寝る。何でこんなに眠いんだ?

1_47  お昼近くに起きて、歩いて20分ほどのワイサレんちに行く。大人より一足先にごはんを食べていたワイサレが、ぶわぁ~と言って、にこにこしながらドアのところまでやって来て、迎えてくれた。かわいすぎて、もう大変。最近、彼は私の髪が珍しいのか、よく触ってくる。フィジーでは人の頭や髪に触ることがタブーで、エレノアはワイサレに「触っちゃだめでしょ。」と諭しているけれど、まぁ1歳5ヶ月の子にそんなことが分かるはずもなく、エレノアに「日本ではタブーでも何でもなくて、ワイサレみたいにかわいい子は頭を撫で回されてるよ。実を言うと、いつも我慢しているんだよ。」と言ったら、大笑いされた。

1_50  ワイサレはどんなに遊んでいても、エレノアが食器を洗ったり、料理を始めたら隣に座って同じことをやろうとする。今日はスコーン作りの手伝いをしていた。焼きたてのココナッツ・スコーンを食べたかったのだけれど、終わっていない報告書が気になって、後ろ髪を思いっきり引かれながら帰って来たのでした。あぁ、残念。だけど、この食いしん坊は大好物を諦めて、ちゃんと報告書を期限までに提出しました! あぁ、すばらしい。半年に1度の大仕事を終えた後の解放感はいいものです。まぁ、内容はともかく…。

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2006年7月28日 (金)

学校さぼって、接待

4_9 カフェでおしゃれなグラスに入った、にんじんの味が強いフルーツ・スムージーを飲みながら雨が上がるのを待って、バスで15分のワビという小さな島に泳ぎに行く。Kちゃんのフィンが無駄にならずに、本当によかった。何気に泳ぐのは3ヶ月振り。こういうきれいな海が近くにあっても、1人で泳ごうと思わないもんなぁ。

5_5  以前、知り合いがやって来た時にはもうちょっとのところで橋が途切れていて断念したけれど、今回は仮設的につながっていた。早速、海に入る。う、冷たい。そして、がむしゃらに泳いでもその場に留まるのが精一杯なくらい、流れが早くて笑ってしまう。流れに任せたまま、熱帯魚観察。トンガでマングローブを植えているKちゃんが興味深い話をしてくれた。マングローブは偉いのです。

 あっという間に2人が帰る時間になって空港に行くと、2人が乗るはずだった飛行機は出発時間を変更して10分前に飛び立っていた。Hは顔を真っ赤にして静かに真剣に怒り、Kちゃんはじゃぁ、どうしよっか?と落ち着き払って考えていた。いつものように空港にはせいぜい30分前に行けば大丈夫だと言ったのは私だったので、そんな2人よりもはるかに狼狽してしまった。とりあえず、「ごめん、ごめん。」と謝る。直行便は逃したけれど、運良く首都スバ乗換えの便に空席があって、目的地ナンディに行けるようになった。これを逃したら、明日早朝のトンガ行きの便も逃して、面倒なことになるところだったので、ほっと一安心。いやぁ、本当によかった。

 この2人はフィジーから一番近い国にいて、現地語も習慣も微妙に似ていたりするけれど、やっぱり日々違うものを見て、違うことを感じている。それぞれが本当に尊いことで、世界中にいる同期のみんなも全く違った環境で、それぞれに尊い毎日を過ごしているのだと思ったら、妙に元気が湧くような気がした。2人が乗った小さな飛行機がどんよりした空に上がっていくのを見送りながら、そんなことを考えた。Kちゃん、H、会いに来てくれてありがとう!

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2006年7月27日 (木)

巨人の国からお客さま

2_19 この建機は日本政府がサブサブの町役場に寄付したもの。日本国旗に“From the People of Japan”と書かれたステッカーが貼られている。同僚にあれは日本の国旗だと説明したら、「あらぁ、ただ注目を惹くためかと思ってた。」だって。この建機は町中を駆け回って活躍していて、通勤中の私とすれ違う度に、必ずドライバーがクラクションを鳴らし、そして手を上げる。専属と思われるドライバーがそのことを誇らしげにアピールしているのか、一日本国民に感謝の意を表しているのか、いつも悩んでしまう。

 放課後、お隣のトンガ王国からはるばるやって来た同期のHとKちゃんを迎えに空港に行く。持ち物は小さなリュックだけ。Kちゃんはそれにシュノーケリング用のフィンを突き刺していた。かっこいい。Hとは訓練所で語学クラスが一緒で、びっくりするくらい高いフィジーの国内線に乗ってサブサブまでわざわざ会いに来てくれたのだった。こんなに嬉しいことはありません! 1年振りなのに、つい数日前にも会ったような、妙な再会だった。サブサブの通り1本だけのタウンを歩いていて、2人がトンガに似ている、と言う。「え? トンガのどこ?」「首都。」…ここはフィジーでもかなり田舎に含まれる。私たちは着実に違う1年を過ごしたんだと、思った。そりゃ、首都スバを渋谷みたいだと言っちゃいますわ。

 フィジーの前にサモアにも行って長旅中の2人はさすがに疲れた様子で、Kちゃんはあっさり眠ってしまった。その後、Hと訓練所の写真を見返す。1枚1枚、いちいち懐かしく、その時のことなんかぱーっと思い出す。それにしても、Daveクラスは本当に平和そのもので、楽しかったなぁ。まぁ、saucy Hはみんなの出身地とかすっかり忘れていて、「東京以外はどこも一緒。」なんて言い放ってくれたけどね。

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2006年7月26日 (水)

白人が苦手

1_40 今日もほとんど機能しなかった学校が終わって、町の外れにあるダクリゾートに向かった。出張中の校長の代役で、染物の実演をやってほしいとお願いされたのだ。布を折ったり、糸で縛ったりして布用染料に浸すだけの、簡単なもので、うちの養護学校でもこの方法でテーブルクロスやカーテンを作っている。私に連絡をしてきたのは、フィジー人の男性スタッフで30分ほどのちょっとしたものだと言うし、あまり深く考えずに引き受けて、のほほんとした気持ちのままタクシーに乗った。

 約束の時間から15分ほど遅れて着いたら、待ち受けていたのはニュージーランドから来たおばちゃんたち6人。まずい、私、この人たちの英語、分からないや…と、一瞬にしてひるんでしまう。リゾートにいるのは観光客だとすっかり頭になくて、フィジータイムでどうせ誰も集まってないんでしょ、と思い込んでいた。動揺している私のところに、主催者のニュージーランド人のおばちゃんが「みんな、待っていたのよ。」と笑顔で歩み寄ってきた。みんなに紹介されて、早速いろんな質問が飛んできた。フィジーなまりの英語に慣れた私は、彼女たちの英語がうまく聞き取れなくて、半ば推測に任せて受け答えをしていたので、時々きょとんとした顔をされた。染物の実演もどぎまぎしたまま終わり、布を渡しておばちゃんたちにも実際にやってもらった。ちっとも詳しくない染物についても質問されたりして、もういっぱい冷や汗をかきつつ、知っている限りのことを説明した。こんなことも勢いで乗り切れるくらいの、度胸がほしいなぁ。

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2006年7月25日 (火)

自習時間

 今週は校長が教育省の特殊教育担当トップと一緒にあっちこっちの学校を訪ねてワークショップを開いているので、ずっと不在。生徒たちもリラックスした雰囲気ではあるけれど、何と言っても先生たちの怠け具合ときたら目に余る。何にもしないんだったら、学校休みにしたらいいでしょ、なんて思ってしまう。学校全体が小学生の自習時間みたいになっている。大人なのに、上司がいなければ最低限の仕事もやれないなんて、何だか気の毒でさえある。そう言えば、昨年校長が日本での研修のために3ヶ月間不在だった時のごたごた振りを思い出す。あれは赴任してたった2ヶ月目にして、これまでで最大の試練だった。

6_2

 最近の肌寒さから一転、久し振りにじりじりする日差しが戻ってきた。2週間後に控えたフィジー北部地区にある養護学校2校でのスポーツ大会のために、今日から毎日、学校から徒歩15分のところにあるラグビー場で、午後の時間を全て練習に費やすらしい。大きい子たちはネットボール、サッカー、バレーボール、私は小さい子たちとかけっことキャッチボールをやった。運動するのは気持ちいいんだけれど、続かないんだなぁ、これが。

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2006年7月23日 (日)

締め切り迫る

1_27 起きたら9時で、びっくりした。いつも休みでも6時に目が覚めるし、昨日夜更かしした訳でもないのに。寝過ぎて、だるい。起き抜けで、昨日ネットで調べたサーターアンダギーを作った。要するに、ドーナツ。それを持って、ワイサレんちへ。いつものみんなの食べっぷりを見ていると、ドーナツ30個くらいでも足りないかなぁ、なんて思っていたら、今日に限って親戚の子どもたちが終結していて、全然足りなかった。

 ワイサレはラジオの音楽を聴いて、リズムにちゃんと合わせて踊るようになった。「キシ!(キス)」と言われると、その人の口元にほっぺをくっつけるようにもなった。めちゃくちゃかわいい。甥っ子もこんなふうに、どんどん成長しているんだろうなぁ、と誕生日が3日しか違わないワイサレと重ねていつも思う。昼ごはんの後に映画を見ながら、うとうとしていたらエレノアがすぐに気付いてベッドに誘導される。先に寝たワイサレと並んで、昼寝させてもらう。寝過ぎ。ワイサレは寝顔もかわいいなぁ。

 思う存分くつろいで、夕方、家に帰って来ると現実が待っていた。今月末までに赴任1年目の報告書を出さなきゃいけない。もちろん、何も手を付けていない。こういうことは追い詰められないと、どうもやれない。明日から1日1項目書いていけば、1週間でできる、なんて思ってしまう。今日はまずお決まりの机の片付けでもやろうかな。あと、ソファに積み上がった本とか新聞とか、片付けようかな。

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2006年7月22日 (土)

新候補

 任期もあと半分になった。そろそろ任国外旅行を考えなくては。この2年間の任期中に任国外に行けるのは20日以内で、そして、どういう根拠かさっぱり分からないけれど、行ける国も決められている。フィジーからだと、どこに行けるんだったっけ?と公用旅券をスーツケースの中から取り出して、世界地図の前に立って「渡航先」というページをめくった。これだけでも、楽しい。オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア…ニューカレドニア? どこ、どこ? バヌアツのちょっと下に発見。ニューカレドニアに行けるって知らなかった! 一気に興奮して、ネットで調べたりする。天国にいちばん近い島、かぁ。フランス領っておしゃれそうだなぁ。あ、フランス語…。

 ちなみに、その他にはキリバス、アメリカ領サモア、トンガ、サモア、ハワイに行けることになっている。日本からだと絶対に行けないような大洋州の小さな島にするか、日本からだとあえて行きたいと思わなくなりそうなオーストラリアやニュージーランドにするか。ニューカレドニア、妙に惹かれる。同期のみんな、どうするんだい?

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2006年7月21日 (金)

銀行に出張

4_8 ANZ銀行が私たちの学校のために、資金集めのイベントを催してくれた。このために、今週はやらせ授業の写真を撮ってポスター作ったり、個人写真を撮ってチャートを作ったり、パソコンに向かってそんなことばっかりやっていた。

 銀行側から10人の生徒を連れてくるように言われて、さて、行ってみると銀行内の片隅にマットが敷かれていて、そこで授業のようなことをやってくれと。窓口は通常通り営業していて、列に並んだお客さんが関心なさげにチラチラ見ていた。9時半から12時まで休憩もなく、銀行側から何の対応もなく、ひたすら裁縫やら折り紙やら算数やらやって、校長が「もう帰りましょ。」といらいらし出したところで、お茶を飲むようにと2階に案内された。そこにはサンドウィッチ、サモサ、いろんなケーキがたくさん並べてあって、銀行が招待したお金持ちと思しき人たちがここで軽食をして寄付をしてくれることになっている、というこのイベントの仕組みを初めて知ったのだった。銀行側が全部やってくれるのはありがたいけれど、いやはや長い。子どもたちは早々に飽きちゃってるし、ここでやれることをそんなにたくさん準備してきた訳でもなかった。お茶を飲んだ後に帰ろうとしたら、「まだ本部の人たちが来ていないから、もうちょっとお願いします。」だって。どうやら、ANZ銀行全支店での共同企画で、何か評価のようなことがあるらしい。それから1時間しても誰もやって来ないので、いい加減に解放してくれたのだった。私たちの学校のことを、たくさんの人たちに知ってもらう、いい機会だとみんな張り切っていたけれど、ちょっとくらい効果あったかな?

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2006年7月19日 (水)

重たい話

 ここ数週間、休みがちだった同僚の体調不良の原因が妊娠中絶によるものだということを知った。午前中、低学年のクラスを一緒に担当している別の同僚が、「昨日の会議の後に本人がみんなにしゃべった。信じられない。ショックだ。」と話してきた。この国では中絶は禁止されているし、宗教的にも許されないはずだけど、表に出ないようにしているだけで、珍しくない話だとは聞いていたけれど、こんなに身近なところで起こると、やっぱりショックだった。彼女のお兄さんが半年ほど前に30代という若さで亡くなったこともあって、かなり心配していたのに、こういうことだったなんて。

 その同僚が育ったランビ島には、キリバスから移住してきた人たちが住んでいて、そこに中絶のマッサージができると信じられている人がいるらしく、その人を呼び寄せたらしい。本当かどうか、分からないけれど、かれこれ4回目だとか…。危なすぎる。しかも、その旦那さんもうちの学校でヘルパーとして働いている。軽々とこんな話をして、たった7人の職員しかいない小さな学校をどんより重い雰囲気にしてしまうことくらい想像できないんだろうか? 私はすごく混乱させられた。

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2006年7月17日 (月)

折り紙教室

2_16 隣にある小学校の6年生のクラスで折り紙を教えた。これまでに1、2年生のクラスでやった時は、冗談のように半分に折ることさえ、まともにできない子が続出でてんやわんやだったけれど、さすがに6年生は手本を示せば同じように折ることがだいたいできた。

 担任の先生の指示で、クラスの半分の子が横1列に並んで立って、教壇に立つ私と向かい合う形で教えた。何だか、妙な感じ。1組目は鳥、2組目は金魚。1枚の紙がそれぞれの形に近付く度にいちいち、おぉ~と喜んでいる子どもたちがとてもかわいかった。

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2006年7月16日 (日)

ホームに帰る

1_24 サブサブに帰る日。空港のある町、ナウソリで日曜には珍しくインド菓子を売る屋台があったので、立ち寄る。たくさんの種類の中から、粉ミルクと練乳を混ぜて丸めた、甘~い牛乳そのもののお菓子を買った。1つ、10セント(7円)。粉ミルクも練乳も、フィジーではちょっと高めなのに、元が取れているのか、いつも気になっている。

 どこから来たんだ? サブサブで何しているんだ?と、おやじが話しかけてきた。そして、やっぱり、結婚しているのか?とも。初対面の人たちは2,3の言葉を交わした後には、必ずと言っていいくらい、この質問をする。聞いてどうするんだろう、と思うけれど、この国の人たちにとってそれは全然失礼でも何でもないことらしい。今日は「旦那さんは、サブサブで留守番中。」といい加減に答えといた。

 2時発の飛行機が1時間遅れて、そしてタベウニ島経由だったので、サブサブに着いたのは4時半頃だった。タクシーで町まで行って、パン屋さんや小さなお店の顔見知りのおばちゃんたちに手を振ったり、知り合いと立ち話をしながら家まで帰って来た。どこかから帰って来る度に、この町への愛着が強くなっていることを感じる。

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2006年7月15日 (土)

ごほうび

5_1 同期Uちゃんの同居人、KさんとUSP(南太平洋大学)の向かいにあるスポーツシティという複合商業施設に行った。目的はずばり、サウナとマッサージ! この国にサウナがあるなんて知らなかった私は、興奮気味に1周年記念のごほうびだ、なんて大げさに騒いでいたら、Kさんに「それほどのことじゃないと思いますよ。」とバッサリ斬られる。はい、失礼しました。写真はスポーツシティの一角にあるマクドナルドのドライブスルーの看板。bulaはフィジー語で、こんにちは。ちなみに、フィジーにマクドナルドは3店舗あるらしい。食べたことないけれど。

 中国人が経営するらしい“Sauna Beauty”という名前のお店の入り口には「大吉」なんて書いてあって、何だか怪しい。受付をして中に入ったら、白いタオルがきれいにかけられた大きめのソファが並んでいて、でっかいテレビもある。あるボランティア仲間はここで6時間も爆睡したことがあるらしい、というのも妙に納得できる。Kさんが足のマッサージをしてもらっている間にサウナに入る(10フィジードル、700円)。ベンチのような椅子が離れて2つあるだけで何ともしょぼいし、スチームがすごい勢いで出ていて、体を流れるものが汗なのか、ただの蒸気なのか、いまいち分からなかったけれど、最近の寒さで冷えた体をホカホカにすることはできた。その後に、“Head and Neck”というメニューのマッサージをしてもらう(18フィジードル)。こめかみをぐいぐい押されて、ひぃーと、うなった。30分ちょっとの間に結局上半身全部のマッサージをしてもらって、気持ちよかったぁ。

 何とも幸せで爽快な気持ちのまま、韓国料理店にごはんを食べに行った。私たちにしたらちょっと高いけれど、たまの贅沢ということで先月スバに来た時に次はここね、とUちゃんと約束していた。そのすばらしきキャラクターで私たちに幸せな笑いを提供してくれるAさんも一緒。アジアのごはんはしみじみおいしくて、そして、いかにも楽しい晩餐だった。都会での休日、しめて50フィジードル。うんと贅沢した気分。日本国民の皆様、ありがとうございます。

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2006年7月14日 (金)

都会の波

 会議のために、首都スバに行く。空港に向かうバスに乗り込みながら財布を取り出して、料金を払おうとしたら、運転手が「鍵、落としたよ。」と教えてくれた。バスのエンジンと大音量の音楽で、そんなことにちっとも気付かなかった。玄関の2つの鍵、ベッドルーム、そして郵便局の私書箱、全部で4つの鍵を失くしたことに、帰って来た時に気付いたらどんなパニックに陥ったことか、と考えただけでぞっとした。運転手さん、ありがとう!

4_7

 在フィジー1年目にして、初めて飛行機が定時に飛んだ。タベウニ島経由のスバ行きの便はバヌアレブ島の海沿いを飛んでいくので、リーフが続くきれいな海を眺めることができる。だけど今日は、いつものように本を読んでいたら、珍しく乗り物酔いしたのか早々に気分が悪くなってしまった。そんな訳でタベウニで乗ってきた白人のおっちゃんに「隣に座っていいかい?」と聞かれた時と、よだれを垂らしそうになってふっと目覚めた時以外、ぐっすり眠り込んでいた。

 スバの空港に到着。タクシーの運転手が退屈そうに群がって、お客を待っている。タクシーに乗る前に「どこに行くんだ?」と聞かれて、1番近いナウソリというタウンの名前を言うと、あからさまに嫌な顔をされる。感じ悪いけれど、まぁ、いつものこと。運転手がしぶしぶ車に乗ったので、私も後部座席に座ったところで「ナウソリまで4ドル(280円)だから。もう3ドルじゃない。嫌なら、向こうの道路まで出てバスに乗りな。」と言われて、呆れて「そうする。」とだけ言って、すたすた道路に向かって歩いた。何なの、その言い方! 1ドルのために何でそんなにいきり立つ必要があるのさ。むっとしたまま他のタクシーを拾うために道路に立っていたら、さっきの運転手が白人を乗せて空港から出てきた。そして、私のところで停まって、「スバまで行くなら、この人たちとシェアしたらいい。何ドルなら出せるんだ?」としつこく言ってきた。おやじ、しつこいよ。あなたのタクシーには絶対に乗りません!! サブサブでのほほんと暮らしている田舎者は、ビチレブ島(本島)上陸するや否やのこの腹立たしい出来事にぐったりしてしまった。

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2006年7月13日 (木)

通信販売

2_8 これはフィジーでは欠かせない、ヤンゴナを飲むためのカップ、通称ビロ。うちの作業学習クラスのみんなの力作。男性陣がココナッツの殻を削ってビロを作り、女性陣がボイボイを編んでダンベダンベ(椅子)を作っている。お陰で私もボイボイ編むの、うまくなった。一般的なものは両手で輪を作ったくらいの大きさだけれど、これはお土産用で親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさ。1セット、3フィジードル(210円)。地元のお土産屋さんに1フィジードルで買い取ってもらっていたのに、私が所属するボランティア団体の職員がやって来る度に、「日本酒飲むのに、いいねぇ。」なんて言って買ってくれたり、噂を聞きつけた人が注文してくれたりしたので、もっと高くで売れることを知ってしまった同僚が値上げしてしまった…。確かに、これを作るための小さなココナッツを探すのは大変らしいけれど。フィジーのどこを探しても、この大きさのビロは売ってないですよ、おひとつ、いかが?

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2006年7月12日 (水)

ちょうど1年

1_18 1年間前、飛行機の窓から眺めた日の出。日本から9時間、ほとんど眠れないままフィジーに降り立った。あの時も、思ってたより涼しいなぁ、という印象だったけれど、今もちょうどそんな感じ。もう任期の半分が過ぎてしまったなんて、実感が全くない。それくらいに、あっという間に時間が流れた。ああでもない、こうでもないと悩んだり、落ち込んだり、笑ったりしながらも、小さな何かが少しずつ積み重なっていると思いたい。そして、こうして元気にやれていることをフィジーで、日本で、世界中でつながっている人たちに感謝です。

 いつもお世話になっているインド人一家が、1周年祝いのごちそうをしてくれた。幸せ者だなぁとつくづく思う。首都スバに行く度にマックのハンバーガー買って来て、とかサブサブにはないあのシャンプー買って来て、なんて頼まれるのも許してもいいかなぁ、いや、どうしようかなぁ。ジョイス(お母さん)に食事の前に一言、なんて言われてえっと、えっと、と焦っていたら、ウメッシュ(お父さん)が「そんな固いことを…えー、フィジーに来て1年になりました。ここにいれて、幸せです。あと1年も楽しく過ごしたいです。」と代わりに挨拶してくれて、私は、「いつも親切にしてくれて、ありがとう。」と付け加えた。そんな乗りの2人とは対照的な、ジョイスの真面目なメッセージに、ちょっとほろっとした。ほろっとしても食欲はもちろん、いつも通りでリクエストしたチキンカレーをお腹いっぱいになるまでごちそうになった。またやってしまった…フィジーで得たものは、体重とシミ、そして自己満足、なんてことにならないようにしなくては。

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2006年7月10日 (月)

週の始まり

1_23 毎週月曜の朝、隣の小学校と一緒に向かいの村にある教会へ行く。右の列の緑のユニフォームの子たちがうちの生徒。40分くらいの礼拝は100%フィジー語なので、何を言っているのかほとんど分からない上に、休み明けということで、私にとっては毎回睡魔との闘いか、物思いにふけるかのどっちか。だけど、フィジーの子どもたちが歌い上げる讃美歌を聴くのは好きだったりする。

4_6  2年生の英語、今はこんなことをやっている。いんちきフィジー語を駆使しながら、簡単ならがらも英語を教えることに毎日汗だくになっているけれど、同僚に補足をしてもらいつつ、5人の生徒を相手になかなか楽しくやっております。

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2006年7月 9日 (日)

ワイサレも絶賛

4_5 いつもと同じくらいの時間に着いたけれど、もう昼ごはんが終わりかけていた。「おいで、おいで。ほら、食べて。」と言われて、何はともあれワイサレを抱擁してから、早速昼ごはんをいただく。魚とオタのロロ(ココナッツ煮)、そして茹でたブンディ(でっかいバナナ)。ここのロロはいつも、うまいんだなぁ。くたくたに煮た山菜のようなオタ、という野菜も私の大好物。

 この家には近所の子どもたちがよくやって来る。外を裸足で駆け回ったまんま上がり込んで来て、何の遠慮もなくベッドでくつろいだりする。そして、遠巻きに私のことを観察したりする。お邪魔します、なんて言葉だけじゃなくて、そんな気持ちもまるでないように見える。自分の家でこんなことされたら、嫌だろうな。だけど、エレノアは何も言わないどころか、ごはん食べなさい、お茶飲みなさい、といちいち声を掛ける。本当に寛容なもんだ。

 昨日作ったマーマレードを瓶に詰めて、おすそ分けした。おやつの時間にそれをバターと一緒にパンに塗って食べた。みんな、おいしいと言ってくれるので、ちょっと調子に乗る。ワイサレもひと口食べる度にゆっくり首を振りながら、「う~ん」とうなってくれた。最近、身に付けたらしいこの芸、かわいくてたまりません!

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2006年7月 8日 (土)

豊かっぽい暮らし

3_2 裏庭の私の身長くらいだったパパイヤの木に小さな実を発見してから、かれこれ3ヶ月以上たった気がする。今日、待ちに待った初収穫。まだまだ、いっぱいなっている。この木の隣にもう1本あって、そっちも順調に実が育っている。放っておいても太陽を浴びて、ぐんぐん大きくなるんだからフィジーの土はすごい。フィジーに着くや否や、パパイヤのおいしさにのめり込んでしまった私は、うはうは。しばらく、食べ放題だなぁ。ついでに、モリと呼ばれる小さなオレンジも30個ほど収穫。それでマーマレードなど作ってみる。ことこと煮詰まる甘~い匂いは何とも幸せなもので、こんな些細なことで豊かな暮らしをしているような気になる。

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2006年7月 7日 (金)

おばちゃんウォッチング

2_6 今日はFiji Arts Council(フィジー手工芸協会?)が主催する展示会に、授業で作ったテーブルクロス、バッグ、ヤンゴナを飲むカップなどを携えて参加した。雨がしとしとと降って、何とも肌寒い。この日のために、ここ3週間は作業学習の時間はテーブルクロス作りばっかりだった。クロスステッチのやり方がうまく飲み込めずに失敗ばっかりする子に、いらいらしまくっていた校長の血圧上昇が密かに気が気でならなかった。

 床に座って食事をするフィジー人にとって、床に敷くテーブルクロス(フィジー語ではsulu ni kana/食べる時の布、という言い方をする)は必需品で、出来上がった7つのうち、5つが売れた。そして、注文を2件受けた。自分たちが時間をかけて作ったものが目の前で売れていく、というこの体験に生徒たちは大喜びだった。私はお店番をしつつ、色とりどりのチャンバ(フィジアン・ドレス)を着たおばちゃんたちを眺めて、楽しんだ。ぷりぷり太ったおばちゃんたちに、派手な花柄のチャンバは本当によく似合うのです。

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2006年7月 6日 (木)

大臣がやって来た

 午前中、保護者会。いつものように、半分も集まらない。フィジーでずっと感じていることの1つは、親がなかなか学校に協力しない、相互の連携が全く足りない、ということ。例えば、27歳になってもユニフォームを着て学校に通う生徒がいる。本人や親が何を望んでそうし続けているのか、校長に聞いても、さぁ?と首をかしげるだけ。いつまで学校に通うのか聞いても、さぁ?と。こんなんじゃ、正直言ってどんな手助けをしたらいいのか、分からない。保護者会の前に、何かのヒントになるかと思って日本のPTAの話をして、親と学校がお互いに協力しないと育つものも育たんよ、と同僚に言ったら予想以上に前向きな反応を示してくれた。そして、今日の会でそのクラス、9人中集まった4人のお母さんたちにその話を伝えてくれて、あるお母さんが自分たちも親の会として何かやろう、と言い出した。今すぐ手紙を出して、まずは3週間後に全員で会議をする、と。すごい、この早い展開! この熱意が続きますように。また1つ、何かが動き出した手応えを感じて、嬉しくなった。

1_12  午後、女性・社会福祉省の大臣がやって来た。1994年の創立以来、初めてのことらしい。昨日の打合せでは、授業をさっと見学するだけなので特別なことは何もしない、ということになっていたのに、校長は今朝になって心変わりしたらしく、1時間以上遅刻してマットとタパ(木の皮を叩いて延ばした伝統工芸品、写真ではマットの上に敷いてある黒と茶色を使って絵が描かれたもの)、それにサルサルと呼ばれる、チーフゲストの歓迎に欠かせない首飾りを抱えてやって来て、フィジー流のちゃんとしたお迎えをすると宣言した。昨日と全く反対の決断をして、1人息巻く彼女を前に、同僚一同きょとんとしたままだった。

 大臣はインド人だけど、フィジー語も流暢に話した。そして、非常にお上品。みんなで列になって握手をする時に、聞かれてもいないのに、厚かましく「日本から来たボランティアです。」と言ってみた。大臣はこれまた上品に「あなたの貴重な時間を私たちのために費やしてくれて、ありがとう。」と言ってくれたのだった。そして、帰り際にももう1度「Thank you, madam.」と。心優しいお方だなぁ。今日はそんなこんなで、大忙しの1日だった。

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2006年7月 5日 (水)

これがほしかった

 ただの雑談としか思えない長くて、退屈な職員会議にどっと疲れて帰ったら、大家さんちのテラスにママの姿。「この間話したマットレスの下に敷く物を家の裏に置いているから、自分で運べる?」ってなことをフィジー語で言う。重いの? でかいの? 一体、何を買って来たんだろうと急いで家の裏に行ってみると、そこにはどーんとベニヤ板が1枚。ママ、ありがとう! これ、これ、これで快眠できます!って…ベニヤ板でどんな効果を得ろと? やっぱりとんちんかんなものを買って来たなぁ。ちゃんとマットが薄くなって痛いって伝えたよね? ベニヤ板という英単語を知っていたら、無駄遣いをさせずに済んだのに。

 こういう行き違いには諦めも含めて、慣れてきたとは言え、やっぱり何でこうなるんだ??と思わずにはいられない。それをベッドルームに運ぶ気になれずにいたら、ママが私を呼ぶ声がした。「運べた? ちょうどよかった?」と満面の笑顔で尋ねられて、「セット、セット!」と嘘をついてしまった。

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2006年7月 4日 (火)

身長 フィジー1

 最近の涼しい気候のせいか、周りには風邪を引いている人がやたらと多い。日中は半袖で気持ちいいくらいだけれど、現地の人たちはどうしようもなく寒さに弱いらしい。

2_1  午前中、突然の来客。フィジーで1番、そして世界でも2番目に背が高いらしいカリ青年。校長の妹が働いている病院にチャリティーか何かでやって来たらしく、ぜひ養護学校の子どもたちに会ってほしいとお願いしたらしい。いやはや、でかい! どれくらいあるんだろうか? ちなみに、カリ青年の右にいる男性は175センチくらい。彼のビーチサンダルはA3のコピー用紙くらいの大きさだった。いや、本当に。現在27歳で、まだ成長中らしい。ラグビーのユニフォーム風のTシャツを着ていたので、「ラグビーやっているんですか?」って聞いたら「前はやっていたけれど、もうやっていない。」と。まぁ、そうか。

 子どもたちはあんぐりと口を開けて驚いていた。試験中のはずだった隣の小学校の生徒たち、向かいの村人たちも写真を一緒に撮りたいと言って集まって来て、私は言われるがままにカメラマンになった。こっちの人たちは写真を撮ってもらうことが非常に好きで、これだけで満足したように、誰も写真ちょうだいね、なんて言わずに帰っていった。

 物静かなカリ青年はたくさんの目に凝視されながら写真を撮っただけで、また静かに帰って行ったのだった。背が高いということで注目されて、何かと苦労しているんだろうなぁ、とちょっと切ない気持ちで見送ったのでした。

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2006年7月 2日 (日)

インド人との休日

 朝8時、うちの学校のタイピスト、シャレッシニ宅を訪ねる。彼女はヤンゴナのお店を営む姉一家と一緒に住んでいる。来客があってごちそうをするから一緒にどうぞ、と誘ってくれた。そして、インド料理の作り方を教えてあげるから、8時においでと指定された。あなたを待っていて遅くなった、なんて言われたら困るので、きっちり8時に行ったら、みんな起き抜けの様子…8時に来いって言ったじゃん。30分や1時間くらい遅れてちょうどいいのだと分かっているし、待たされることにうんざりすることばっかりなのに、いつもこういう具合になってしまう。しばらくして甘い紅茶をもらってから、朝からチキンカレー、そしてポテトとなすのカレーをがっつりいただく。おいしくて、うなる。最近はインド人と同じように手でよく混ぜて食べる、この方法がカレーをよりおいしく食べるために欠かせないように思えてきた。最初こそ、カレーを混ぜまくるインド人を見て、混ぜすぎでしょ、なんて小ばかにしていたけれど。

 日曜にもかかわらず、張り切って早起きしたのにシャレッシニもお姉さんも掃除や洗濯をやっていて、なかなか料理が始まらず、シャレッシニの姪のラジェッシ9歳とトランプに高じること2時間、何のためにこんなに早く呼び出されたんだろうか? 

1_7  11時を回る頃にようやく料理が始まって、ダルという豆のスープ、ジャックフルーツカレー、チキンカレー、トマトチャッティニ、プリ(ロティの小さい晩を油で揚げたもの)が次々と作られるのを、かじりつくように見ていた。チキンカレーを作るのに、生きた鶏を絞めた。うちの実家では私がまだ7、8歳の頃まで鶏を飼っていて、餅つきや何かのお祝いで親戚が集まると、その鶏を絞めてすき焼きのように甘辛く煮て食べていた。私は卵ができる前の黄身だけが連なったものが大好物で、父がそれを1番によそってくれたことなんか、よく覚えている。だけど鶏が首から血を流して海辺に横たわっているのとか、火にあぶられて羽根をむしられるのとかを見るのは苦手だったし、子どもながらに友達に我が家のこういう風景を見られたら嫌だなぁ、なんて思ったりもしていた。そして、今日も相変わらず首から血を流して目を閉じた鶏にぞっとしてしまった。生きものの命をもらって食べて、生きているというのは正しくこういう営みなのに、本当に情けない。そのくせ、締めたばっかりの鶏はやっぱりおいしい、何て思ってしまうので、いよいよ情けなかった。

 お昼ごはんの前後はインド映画を見た。派手な衣装、大げさで鳥肌の立つような演技、歌って踊るインド映画はどれも同じにしか見えないけれど、シャレッシニが傍らで熱心に解説をしてくれるので、頑張って見たけれど、やっぱり不思議なエンターテイメントには変わりなかった。帰る、となかなか言い出せずに、やっとのことで4時過ぎに脱出。現地人との交流もそれなりに楽しいのだけれど、お腹いっぱいの感も否めないなぁ。

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2006年7月 1日 (土)

フィジー人との休日

 昨日の夜から私の養護学校のすぐ隣にある小学校のウィルソンというおばちゃん先生の家に泊まった。ユーモアがあって、おちゃめな彼女はいつも何かと声を掛けてくれて、子どもたちはみんな家を出ていて旦那さんと2人だけだから、気軽に泊まりにおいでと誘ってくれたのだった。放課後、マーケットに行ってヤンゴナを買ってからタクシーに乗った。「誰も家の場所を知っているから、タクシーの運転手に私の名前を言ったらいいよ。」と言われて、本当?と思っていたら、やっぱり運転手はあっさり知らないと言い放った。まぁ、サブサブという小さな町のことなのでこれくらいで焦ったりはせずに、あっちこっち迷いながらも何とか到着。

 ウィルソン先生の家は高台にある豪邸だった。これ見よがしにSky Pacificのアンテナなんかある。家に入ってまず、ヤンゴナを渡した。初めて訪ねる家にヤンゴナを持って行く、というのはフィジーの習慣でそれを受け取った家長が何やら長々と挨拶をするのを聞くのがどういう訳か妙に好きなのだけれど(ちなみに、その意味はちっとも分からない)、昨日は旦那さんが留守で彼女の他に学校の寮から週末で帰って来ていた次男だけで、「Oilei ! Vinaka vakalevu.(あらまぁ、ありがとう)」の一言で終わってしまい、ちょっとがっかり。

 晩ごはんはフライにした魚と玉ねぎ、そしてダロイモ。こっちの人たちが大好きな甘めのトマトソースに覆われた一品。でっかいテレビの正面のソファに座って、手づかみでそれを食べながら、自慢のスカイ パシフィック・ショーの始まり。早々に部屋の明かりを消して映画、ネットボール、また映画…夜も更けて、字幕なしの洋画に疲れたので先に休ませてもらった。と言っても12時を回っていたので、フィジーに来てから10時半にはすっかり寝てしまうようになった私にとっては大健闘だった。

 今朝、ボーイフレンドと同棲している次女が彼とその甥、姪を連れてやって来た。そして、やっぱり映画を見ながら朝ごはん。リビングの片隅で昨夜、一晩中魚釣りに行っていたらしい長男が頭から毛布をすっぽりかぶって寝ていたり、次女と彼は頭が悪いのかと思うくらいにいちゃつくし、もう何が何だか分からない環境にどぎまぎしながら紅茶を飲みつつ、パンを食べたのだった。お昼頃、次男とタウンに買い物に出て来て、そのまま帰宅した。昨夜からテレビの前の指定席のソファに座り続けてごはんを食べ、ひたすら映画を見続けるという休日の過ごし方をした体は思いの外ぐったりと疲れていて、3時間近く昼寝をしてしまった。

 

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