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2006年11月

2006年11月29日 (水)

いつも通りです

 首都スバ在住のボランティアは国際空港のあるナンディのホテルに避難し始め、来月4日に任期を終えて帰国する予定だったボランティアは急きょ、明日の便で帰国するようになった。一方で、同期の動向を見ると、首都以外に住んでいる人たちはどうやらみんな普通に仕事をしている。何で最も平和だと思われるサブサブで、私は自宅待機しているんだ? 連絡内容をまた聞き間違えたかな? とやや不安になりつつ、今日も家でのんびりする。昼休み、同僚2人が差し入れのパンを持って遊びに来た。月曜日もすでに生徒が少なくて、することがなかったので予想はついたけれど、彼女たちに「今日は何してるの?」と尋ねてみたら、「ずっとおしゃべり。」と。そして、「午後から何するの?」と尋ねたら、「隣の小学校の先生たちとヤンゴナを飲む。」と。サブサブが今回の混乱の影響を今のところ、ほとんど受けていないにしろ、私が今日、学校に行く必要は一切なかったな、と思ったのでした。

 ニュージーランドで1時間半の会談を終えた首相と軍司令官は、今日中に帰国するらしい。会談の内容はまだ明らかにされていない。それに同席した警察長官は、そのまま休暇に入って、家族がいるオーストラリアに飛んだようだ。軍司令官は政府への要求の1つとして、この警察長官の解任を挙げている。警察は警察で、軍と軍司令官に対する扇動罪などの捜査をしていると発表して、軍と警察の関係も緊迫しているし、大体こんな事態に警察のトップが休みと取るなんて、どうなっているんだろうか?

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2006年11月28日 (火)

自宅待機中

 昨日の夕方、情勢が急激に緊迫してきたので次の連絡があるまで自宅待機をするように、との緊急連絡が入った。電話をしてきた職員によると、首都スバに在住のオーストラリア、そしてニュージーランドの外交関係者はすでに避難を始めているらしい。万が一の事態に備えて、パスポートを確認しておくように、と。え? 夢の国外退避?と妙に興奮しながら夜更かししたのでした。

 今朝。サブサブでは何の変化もなし。でも、連絡ないから自宅待機続行。学校に電話をかけて、その旨を伝えた。校長は「メディアが騒ぎすぎなのよ。だけど、あなたは外国に住んでいるんだから、あなたのボスの指示に従いなさいね。私もそうしたいくらいよ。どころで、韓国ドラマのディスクは持ってるの?」と。緊迫感、一切なし。その後、ベランダの掃除をしていたら、大家さんのママが「今日は学校に行かないの?」と声を掛けてきた。前にも書いたけれど、インド系のママはフィジー語は流暢に話すのに、英語ができない。私は英語とフィジー語はぼちぼち話すけれど、ヒンズー語は全くできない。それで、私たちの会話はフィジー語で行われる。いつも通り穏やかな町で1人自宅待機していることを説明しているうちにおかしくなって、さらにママが「全く、フィジー系は困ったものね(対立している首相と軍司令官はどちらもフィジー系)。いいから早く、家の中に入りなさい。」と言ってきたので、笑いながら引き返した。日中、この事態では行けるはずもないニュージーランドのガイドブックをじっくり読む。夏に行くなら北島、秋なら南島だなぁ、と思ってみるだけ。

 一日中聴いていたラジオ・ニュースによると、私用でニュージーランドに滞在していた軍司令官が午後にも帰国するので、何かしら動きがあるのでは、と緊張が高まっていたけれど、午後になってニュージーランド首相の仲裁でフィジー首相がニュージーランドに飛んで、軍司令官と明日の朝、直接会談することになった。クーデターを企てているとされる軍司令官は、これだけ国民を混乱させておいて、孫に会うためだか何だかで休暇中だなんて、ひどい話だ。さて、どうなるんだろうか。サブサブは至って平和です。

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2006年11月26日 (日)

たくましく眠る

1_80 炎天下の中、汗だくになってワイサレの家に着いたら、DVDをわいわい言いながら見ている10数人の近所の子どもたちのちょうど中心で、ワイサレはすやすやと眠っていた。そんなところでよく眠れるなぁ、と感心してしまった。昼ごはん(豚肉とダロリーフのスープ、キャッサバ)の少し前にさくっと目覚めた彼に、お姉ちゃんのティマが「ほら、ナホ、来てるよ。」と言ってこっちを指差したら、すくっと立ち上がってニコニコしながら駆け寄って来たのでした。かわいすぎる!!

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2006年11月25日 (土)

Nさんと家政婦さん一家

5_14 間もなく任期を終えて帰国するNさんがランバサからバスで2時間半かけて、はるばるサブサブにやって来た。雇っていた家政婦さんとそのきれいな娘さん2人を連れて。帰国するボランティアが近隣に住む仲間や、家を共有している人をリゾートに連れて行ったり、ごちそうしたり、というのはよく聞くけれど、家政婦さん一家を日帰り旅行に招待するなんて、さすがNさん! 大体、家事一通りをする家政婦を雇っている人なんて、他にいるのかな? サブサブ散策を終えた御一行と海辺のカフェで待ち合わせて、一緒にピザをごちそうになった。一眼レフとデジカメの両方で、きれいな娘さんたちを隠し撮りでもするように狙っているNさんに、「何か、いやらしいですよー。」とつい言ってしまった。あ、でも、彼は体調不良を押してまで家政婦さん一家にこんなサービスをした偉いお方なのですよ。食後に薬を飲んだら、すかさず家政婦さんも持参したビタミン剤などを差し出していて、その様子を見ていて愛されているなぁ、と思ったのでした。Nさん、今日はありがとうございました。

 そう言えば、落ち着きかけたと思われていたフィジーの情勢が、軍司令官が「政府が軍の要求を2週間以内に受け入れない場合は、何かしら行動を起こす。」というような発言をしたことでまたまた緊迫している。オーストラリアの外相までもが、フィジーの軍司令官がクーデターを企てているとの情報を得た、とメディアを通して話したらしいし、どうなるんだろうか。私が所属する団体が一度は解除した、旅行などを禁止する措置が昨日また取られてしまった。もうすぐ3学期が終わって、2ヶ月の長い休みに入るというのになぁ。

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2006年11月24日 (金)

サルサルをもらう

6_6 1年の最後を締めくくる、保護者面接、資金集めのバザーと宝くじの抽選、そしてコンサートなど、今日はいろいろなことを一緒くたにした大イベントだった。だけど、やっぱり理解のない保護者というのがいるもので、その数が割と多かったことで、朝から校長がカリカリ怒っていた。今年1年、午前中は同僚アレビナと一緒に、普通学校に戻るための復習的な勉強をしているクラスを担当させてもらった。そのクラスの8人中7人はよく頑張って、学校側は普通学校に戻れると考えているのに、自分の子どものレポートを受け取って、その子の将来をちゃんと話し合う、ということをしない親がいるんですねぇ。がっかり。よくやったのに、親に褒めてもらえない子どもたちが、かわいそうだった。そんなこんなで、どこかすっきりしない雰囲気だったけれど、子どもたちがメケを踊って盛り上げてくれたのでした。

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 あるお母さんが私にサルサルと呼ばれる首飾りを掛けてくれた。木を薄く削ったものを編んだ土台に色とりどりの草花がちりばめられて、きれいなだけじゃなくて、とても香りがいい。サルサルはお祝い事やお客さんを迎える時などにも欠かせないもので、手間暇かけてこういうものを手作りするフィジーの人たちの知恵はとても好きである。

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2006年11月21日 (火)

マンゴー中毒

1_79 学校の帰りにマンゴーを買いに行った。ここのところ、1日2個以上食べ続けているような気がする。マンゴー、牛乳、ハチミツ、ゼラチンで適当にマンゴープリンっぽいものを作ってみたけれど、あまりいけてなくて、がっかりしてしまった。おいしい果物は冷やしてそのまま食べるのが、やっぱり一番のようです。

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2006年11月20日 (月)

幻のプリンセス

2_43 何だかあんまり事情が分からないまま迎えたお客さんは、モナコ公国のプリンス(元首)、アルベール2世の娘さんだった。血統からするとプリンセスであるジャズミン(14歳)の母親はアメリカ人で、彼女を身ごもった当時、旦那さんがいたので、国は彼女のことをプリンセスとして断固として認めていないらしい。数年前に彼女の父親であることを認めたプリンスは、未だに独身なのに、ジャズミンの他にも自分が父親だと認めた男の子が1人いるし、モナコ皇室は何とも自由奔放なようです。プリンスから手厚い援助を受けながらアメリカで暮らす彼女は、14歳にして“ジャズミン・ファンド”なるものの代表で、今回のフィジー訪問(お忍びらしい)は恵まれない子どもたちを支援する、というのが大きな目的らしい。ジャズミンもまだ子どもなのに。

1_77  サブサブに住むアメリカ人実業家が、学校に「彼女の最初の訪問地として、ホストになってくれますか?」と相談に来たのは1週間前で、それから歓迎セレモニー(歌とメケというフィジー伝統ダンス)の練習ばっかりやっていた。装飾や食事準備、衣装の手配まで、彼女のたった1時間の滞在のために、みんな、よく働きました。食事の後、生徒たちと一緒に楽しそうにトランポリンで遊ぶ彼女を見ながら、いろいろな人生があるなぁ、とぼんやり思ったのでした。

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2006年11月19日 (日)

憧れのエレノア

1_76 ずれ下がったズボンで、ワイサレのお尻が半分くらい見えて、あれ?と思い、お姉ちゃんたちに「もうオムツしなくなったの?」と聞いたら、そうだと言う。「おしっこしたい時はちゃんと言えるんだよ。」と彼女たちは言っていたけれど、見事にお漏らしし、さすがに大きい方までしてしまった時にはエレノアが「ついにやっちゃったー。」と笑ってオムツをまた取り出していた。自他共に認める人の子バカの私にはワイサレはかわいいばっかりだけれど、ちょっとずつの成長に一喜一憂しながら付き合う親はやっぱり大変なんだろうなぁ、と思ったのでした。

 最近、これまた韓国ドラマにはまっているエレノアが「韓国人と日本人はやっぱり違うし、世界中にはいろんな人がいるね。」と話し出した。「神様が創り出したものは不思議で、肌の色や顔つき、言葉も違うけれど、それはそれぞれの環境に合うようになっているのよね。だけど、ハートは一緒だと思わない?」と言った後に、「私たちフィジー人の髪の毛は、天然の傘なのよ。」と言って豪快に笑っていた。例えば、私の周りには自分の肌の色に劣等感を感じている人が少なくないけれど、彼女はそうではない。ありのままの自分を大切にできる彼女はまた、他のどんな人たちも平等に大切にできる偉い人なのだと思う。フィジー系とインド系の2つの民族が共存するフィジーでは、小さなことでもお互いに批判し合うことが多いけれど、今までエレノアがインド系の人たちのことを悪く言ったのを聞いたことがない。フィジーで暮らしているからこそ分かるけれど、これは本当にすごいことなのだ。毎週、ワイサレに会うことだけじゃなく、密かに憧れるエレノアと話をするものすごく楽しみなのです。

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2006年11月16日 (木)

くつろぎ過ぎ

4_20 朝、うちの学校に泊まっていたレブカ養護学校のみんなを見送った(もちろん、教室に雑魚寝)。昨夜は帰りが10時頃になったので、大半の子どもたちは休んで、片付けの後はこれと言ってすることもなく、隣の小学校の裏に広がる海を眺めに行ったり、同僚とおしゃべりをしてくつろいだのでした。ここのところ、仕事らしいことをしていなくて、ぼんやりしてばっかりです。

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2006年11月15日 (水)

レブカからのお客さん

1_75 旧首都レブカの養護学校の子どもたちがやって来た。到着するなり、子どもたちはベランダでサンドウィッチの昼ごはんを食べ始め、先生と保護者はうちの同僚たちとヤンゴナを飲み始めた。午後から黒真珠の養殖を見学に行くと聞いていたけれど、どこにも行かずにひたすらまったりと過ごしたのだった。さすが、フィジー人。

  放課後、同僚アレビナとうちでごはんを食べて、彼女はシャワーを浴び、今日買ったばかりの服を着込んで、お楽しみ会のようなものに出掛けた。スポーツ大会のために隣の小学校でキャンプをしている人たちや近所の村の人たちも詰め掛けて、200人以上が集まって、レブカとサブサブの生徒が交互に歌やダンスなどの出し物をして大盛り上がりだった。フィジーの人たちは歌ったり、踊ったりすることが大好きで、彼らがそれを心の底から楽しんでいるのもよく伝わってくる。歌も踊りもダメな私はこういう場で、いつも彼らのことがすごくうらやましくなる。

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2006年11月14日 (火)

クリスマスの花

2_42 学校の向かいにあるバス停の側に、きれいな花をたくさん咲かせている木がある。最近、めっきり暑くなったフィジーの青く、高い空によく合っている。帰りのバスを待つ子どもたちとおしゃべりをしながら、この花を見上げると、いい気分で満たされていくのがよく分かる。同僚が「あの花はクリスマスが近付いているサインだよ。」と教えてくれた。常夏のフィジーでも、自然の草花が季節を教えてくれるです。すばらしいことだと思う。

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2006年11月12日 (日)

走るワイサレ

 今日ももちろん、ワイサレんちで昼ごはん(オタという野菜と魚のココナッツ煮、キャッサバ)を食べさせてもらい、まったりした日曜日を過ごした。昼ごはん直後に、エレノアが最近見て号泣したらしいインド映画の上映開始。私にはどれも同じに見えるインド映画はエレノアのお薦めとは言え、ちょっと退屈だったのだけれど、俳優たちの真似をしてピョンピョン跳ねながら踊るワイサレがかわいくてしょうがなかった。

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 みんなの隙を狙っては(と言っても、まぁ隙だらけなのですが…)外に駆け出して、何度も連れ戻されていたワイサレは、私が帰る時も後を追って脱走して来た。あー、かわいい。

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2006年11月10日 (金)

マンゴーの季節

 試験も終わり、3学期が終わるまであと3週間もあるのに、もうすっかり休みモードに突入。さて、今日は何をしたらいいんだろうか、と思っているうちに、午前中の休憩時間になり、それが終わる頃にタイピストがジンジャーティーを淹れてくれて、同僚たちとおしゃべりをしているうちに昼休みになった。午後から残り3週間のうちに立て込んでいる4つの大きなイベントについて、何となく会議のようなことをしているうちに終業の時間になった。子どもたちは一日中、自由に遊んでおりました。

 学校の帰りにマーケットに行って、旬で多く出回り始めたマンゴーを買った。こぶし大のマンゴー5つ、たったの1フィジードル(70円)。マンゴーの食べ比べにはまっている友達によると、日本では1つで20フィジードルもするものもあるらしい。そんなの絶対に買う気になれないだろうから、今のうちに思う存分食べておこうと思っている。

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2006年11月 8日 (水)

Uちゃん、特別機で帰る

6_5 昨日から始まった学期末の試験(英語、算数、一般教養、フィジー語)が午前中で終了。設問が英語で書かれていて、うちのクラスの半分くらいの子はまずそれが理解できないために、同僚アレビナと一緒にそれぞれの子を回って設問の説明をしなければならなかった。アレビナの様子を見ていると、ついでに答えも教えてしまっており、どうしたものかと思ってしまった。

 午後のフライトでUちゃんが首都スバに帰ってしまうので、午後から休みをもらってバスに乗って海に行った。だけど、ちょうど干潮で、しかもお隣のトンガ王国で起こった地震の後にそこから流れ着いた軽石が大量にプカプカ浮いていて、Uちゃんにきれいなサブサブの海を見てもらうことができずに残念。フライトの1時間前から道路に立ってバスやタクシーを待ったけれど来ず、ヒッチハイクも全敗で(通り過ぎたのはわずかに4,5台)、携帯電話も圏外でタクシーを呼ぶことも空港に連絡をすることもできず、時間だけが過ぎていった。自分たちの置かれた状況をすっかり忘れて、一時はけん玉を真剣にやっていたけれど、さすがにちょっとまずいかも、とてくてく歩き出し、フライトの5分前くらいでようやく携帯が通じて、航空会社にフライト変更の連絡がついた。

 そこで歩くのをやめて、バスを待っていたら1台のトラックがやって来た。1度は諦めたはずなのに、ここでは飛行機は遅れて当たり前なので、もしかしたら…という期待を込めて手を上げてみたら、これが停まってくれたんですねー。すっかり興奮して荷台に乗り込もうとしたら助手席にいたら親切なお兄さんが自ら荷台に移って、私たちを助手席に座らせてくれた。彼らはリゾートで働いていて、ちょうど空港に荷物を取りに行くところだった。定刻を15分過ぎて4時を回っていたけれど、彼らによるとスバからの飛行機到着時間は4時だと空港から連絡を受けたらしい。車はぐんぐんスピードを上げて、ついに私たちの視界に空港の小さな建物と飛行機が入った時には大喜びで、ドライバーと3人で「Wawa vakalailai !!(ちょっと待ったー!!)」「Wawa mada !!(待ってちょうだーい!!)」と叫びまくったのでした。

 しかし、何だか様子がおかしい。飛行機の側に顔見知りのインド系の人たちが群がって泣いている。すぐに、それが数日前にニュージーランドの病院で亡くなった近所のおばあちゃんの遺体を運んできた特別機であることが分かった。Air Fijiの受付の人はそっけなく、「今日のフライトは全部終わっちゃったよ。」と言ったものの、スバに引き返すその特別機にUちゃんが乗れるように手続きをしてくれた。Uちゃんが「フィジーだと、どうにかなるはずなんだけどな。」と言い続けたように、本当にどうにかなってしまった。しかも、今回のはすごい。おばあちゃんを迎えた人たちに同情しつつも、「怖いよー。」と言いつつ、遺体が運び出された機内に乗り込んだUちゃんに大きく手を振りたいような、どぎまぎしたままの見送りになってしまった。Uちゃん、またゆっくり遊びにおいでね。

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2006年11月 7日 (火)

念願の温泉卵

4_19 ちゃんと仕事をした後、Uちゃんの同僚たちに散々バカにされながら、ゆで卵を作るべく、サブサブ名物の温泉に行く。温泉と言っても日本のそれとは全く違って、ただボコボコと温泉が湧き出しているところで現地の人たちが気長にダロイモなどの主食を茹でているだけ。もっと有効活用したらいいのに。やってみたかったけれど、さすがに1人ではできなかったことをUちゃん(卵投入、引き上げ担当)を巻き込んで、ついに実行。 半熟バージョンを現地人に凝視されながらその場で食べ、固ゆでバージョンができた時にはきれいな夕焼けが広がっていたので、5_13 急いで海辺に行って桟橋に座り、真っ赤な空と海を眺めながらゆで卵を食べたのでした。その味は、いつものよりたぶん、おいしかったような。Uちゃん、私たちもうすぐ30歳だったね、忘れてたよ。

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2006年11月 6日 (月)

クリスマス準備

3_29 図工の時間にクリスマス・ツリーを作った。有志のボランティアで共同制作した“Art & Craft Book of Creative Ideas”という図工のアイディア集に載っている作品。フィジーの教育省から高い評価をもらい、メディアにも取り上げられて、にわかに評判のこのアイディア集、本来は小学校の生徒や先生たちのために作ったのだけれど、私もよく助けられている。さてさて、このクリスマスツリー。本体を作るのは簡単なのだけれど、フィジーの子どもたちにとって“自由に飾りつけをする”ことがとても難しい。そういう情操教育が長年軽視されてきたために、創造する楽しみを知らないのです。もったいない。素人である私が週1回やっている図工の授業で、どれくらい伝わっているんだろうか?

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2006年11月 5日 (日)

普通に迎える

 朝のフライトで同期のUちゃんが仕事のためにサブサブにやって来た。昨夜、電話でどんな迎え方をするか、バカな話で大盛り上がりしてしまい、あんなに大きく振ったところで何をしてもおもしろくない、と決め込んで飛行機の音が聞こえたのと同時に家を出て、Uちゃんとその同僚たちが泊まるホテルにてくてく歩いて向かっているところをタクシーに乗った一行に「おーい、でっかいウェルカム・ボードはどうした?」と叫ばれてしまった。

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 Uちゃんはサブサブをとても気に入ってくれ、褒めちぎっていた。そんな興奮気味の彼女をワイサレんちに連れて行った。ワイサレは初めこそ人見知りをしていたけれど、あっという間に慣れて、Uちゃん曰く“壊れたおもちゃ”のように昼ごはんのためにセットされたお皿やスプーンを踏みつけて、ぐるぐるぐるぐる走り回ってエレノアに怒られていた。はしゃぎすぎたワイサレはしばらくしてごはんを食べながら、ガクンと突然寝に入ったのでした。

 ごはんの後、ひたすらおしゃべりをしただけなのに、エレノアが焼いたココナッツ・スコーンでまたお茶をして満腹もいいところで帰って来た。そして、Uちゃん一行が泊まっているホテルのプールで久し振りに泳いだ。日中、いい天気だったのに陽が落ちた後のプールの水は思いの外冷たくて、「Vinaka vakalevu(ありがとう)」などとシンクロごっこをやっているUちゃんを残して、帰って来た。水シャワーが温かく感じるくらい、15分ほどの帰り道はめちゃくちゃ寒かった。

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2006年11月 4日 (土)

ごちそう三昧

1_73 ワイサレのおばあちゃんの一周忌で、ごちそうに招かれた。人が亡くなったら土葬して、その1年後に大きな石を被せるらしい。私がのこのこ訪ねて行った時には、それは完了していて、男性陣はココナッツの木下でヤンゴナを飲んでおり、女性陣と子どもたちがすごいごちそうを囲んでもりもり食べていた。軽く50人以上の人がいて、こんな盛大な集まりと思わずに3本しか持って行かなかった2リットル入りのジュースが一瞬でなくなってしまった。

 今日は滅多にお目にかからない豚の煮物があった。こういう時はたいてい豚を丸ごと1匹買って、自分たちで絞めてすぐに料理するから、もうびっくりするくらいうまいのです。まぁ、毛が残っていたりもするのだけれど、そんなのすっかり気にならないもんねぇ。バタバタしていたエレノアがようやく一休みしている時に話を聞いたら、こういうイベントには必ず村全体に声を掛けて、来ない家庭があれば、それぞれに料理を届けるらしい。どおりで、小学生くらいならすっぽり入れそうなでっかい鍋が4つもある訳だ。フィジアンの村での共同生活はなかなか大変だなぁ。

 贅沢な昼ごはんを食べた上に、夜はインド系タイピストが夕食に招いてくれて、カニのカレーをごちそうしてくれた。初めて食べたけれど、絶品! 食の神様、どうもありがとう。食いしん坊はこの2つのごちそうが同じ日でなかったら、もっと満喫できたのに…とつい思ってしまった。おいしいものをお腹一杯に食べられるこの国は、何だかんだ言って豊かだなぁ、と思ったのだった。

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2006年11月 1日 (水)

自宅待機令

 昨日、無事に奥歯の詰め物を治してもらって、重たいバックパックとタオルケットや枕などの大荷物によろよろしながら、1週間振りにサブサブに帰って来た。サブサブはやっぱりいい。買い物をするためにタウンに行ったら、カナカナ村でお世話になったイリ一家にばったり会った。久し振りの再会で、ぷよぷよしたイリにギューっと抱きしめられる。イリの知り合いがやっているテーラーのポーチに座り込んでおしゃべりをしていたら、携帯電話が鳴った。ランバサに住むボランティアから緊急連絡網が回ってきて、最近フィジーで問題になっている政府と軍との対立関係が悪化し、クーデターが起こる可能性も否めないということで、今から自宅待機、万が一に備えて水や食糧を買い置きしておくように、と。首都スバは緊迫しているのかもしれないけれど、ここサブサブは相変わらずの穏やかな時間が流れている訳で、とりあえずおしゃべり続行。

 午前中、ボランティアコーディネーターSさんから学校に電話が入った。「自宅待機ってことになっていたはずですけれど、学校に行っちゃったんですね。」と。私は昨日の緊急連絡網の内容をちゃんと理解していなかったらしい。でも、この電話は自宅待機を緩和する、というものだったので、まぁよかったんだけれど。サブサブはいつも通り平和で、フィジーの情勢が不安定だなんて、ちっとも実感が湧かない。

 今日、おばが送ってくれた日本食満載の荷物を受け取った。すし太郎と一緒に桜でんぶまで入れてくれたあたり、さすが。私も知らぬ間にすくすく成長する甥っ子がかわいくてしょうがないけれど、甥や姪というものはいくつになってもそういうものなんだなぁ、とつくづく思った。ありがたくいただきます!

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