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2006年12月

2006年12月31日 (日)

大晦日です

3_35 朝から快晴で暑くて、大晦日という感じがちっともしない。Sちゃんはウクレレ、Uちゃんは歌、私はハーモニカで日本の歌やフィジーの国歌を練習して、ワイサレの家に行った。アサエリやエレノアはいつものように優しく迎えてくれた。アサエリはUちゃんが前回来た時に絶賛していた特製スープをわざわざ準備してくれていて、本当にありがたかった。昼ごはんの後に、家に集まった親戚の子どもたちと一緒に歌って楽しんだ。音楽センス抜群のフィジー系の子たちは“ふるさと”を日本語ですんなり歌えるようになったのでした。さて、見慣れない人がいてちょっと緊張気味だったワイサレは、ウクレレをポロンポロンと鳴らしたり、私からハーモニカを奪って吹いてみたり、楽器に興味をもったようでした。

 夜、大晦日のホテルを舞台にした“THE 有頂天ホテル”のDVDを日本語字幕付きで見た。近所にある一風変わった教会がドラムを叩き、マイクを通して叫んだり、歌ったり、年越しの礼拝を大騒ぎでやっていて、音声が聞き取れないほどだったのです。いやぁ、あれは迷惑。その映画の中で歌われていた♪ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ&俺 ふるさと遠く 天国う~まれ♪というメロディが頭から離れないまま、ベランダでビール片手に明るい月を見上げて年明けを待ったのでした。 

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2006年12月30日 (土)

同期ご一行様

1_89 朝、ボートでGちゃんが、午後には飛行機でUちゃんとSちゃんがサブサブにやって来た。飛行機の到着が思いの外早かったようで、ウクレレに合わせてバースディ・ソングを歌いながら突然現れた2人にびっくりしてしまったけれど、こんなことをやってくれる同期たちにすっかり嬉しくなってしまった。うちで朝ごはんを食べたGちゃんはその後、同僚と落ち合って、どの辺りなのか検討もつかない、そしてどうやらサブサブからかなり離れてそうな彼女の村にバスに揺られて向かった。夕方、残りの3人で海辺のおしゃれなお店でビールを飲み、ピザを食べ、夜風に吹かれておしゃべりをし、またビールをたくさん買い込んで帰って来たのでした。ちょくちょく連絡を取っていた校長はたくさん集まっている親戚の朝食用のスコーンやケーキを焼くのが深夜までかかり、ダンスクラブもなし、うちにビールを飲みにも来れなかったのでした。

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2006年12月29日 (金)

快晴!!

 本当に久し振りに見る、空の青さでした。ようやく晴れたなぁ、と嬉しくなったのも束の間、本格的に晴れると、暑くてしょうがない。明日、同期の3人が遊びに来てくれるので、彼女たちの滞在中も晴れてくれるといいのですが。タウンで校長に会って、友達が来ることを話したら日本びいきの彼女はすごく喜んで、「ダンスクラブに連れて行きたい! そういうの、好きな人たち?」と張り切っていた。「親戚が大勢集まっている家にずっといたくないし。」と本音もこぼしていて、自分が行きたいだけなのかもしれないけれど、とにかくそんなふうに誘ってくれてありがたい。クリスマスがどんなに楽しかったか話したら、「よかったわねぇ。私からもお礼を言わなきゃ。」と我が子に向けるような眼差しで言ってくれたし、元旦にも昼ごはんを届けてくれるらしいし、校長はボスであり、母のような人でもあるのです。

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2006年12月26日 (火)

遊びの王様

5_15  1日遅れたけれど、クリスマスプレゼントを持ってワイサレの家に遊びに行った。ここ2週間で晴れ間は数時間、というくらい雨が続いていて、ワイサレ一家が住むヤロイ村全体が田んぼみたいになっていた。ビーチサンダルで滑らないように用心して歩いていると、現地の人たちは最初から何も履かずに、スイスイ行き来していた。

 雨で外に行けないワイサレは、家の中のいろいろなもので遊びを創り出す。砂糖の入れ物(フィジアンは一杯の紅茶に砂糖を大さじ3杯とか入れるので、容器もでかい!)を積み上げて、それに登って踊ってみたり、容器のふたをハンドルに見立てて、エレノアと車の運転ごっこをしていた。エンジン音と振動担当で、熱心に遊びに付き合っていたエレノアは、ワイサレと全く同じように楽しんでいて、いいお母さんだなぁ、とまたまた感心したのでした。

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2006年12月25日 (月)

クリスマスは食べる日

 うちからタクシーで20分ほどのウラタ村でのクリスマス。仕事でお世話になっている社会福祉関係の役人さん宅で、初めて訪ねる家にはヤンゴナ(コショウ科の植物の根)を持って行くという習慣にならって、そこの家長にヤンゴナを渡したら、「今からあなたはこの家族の一員だから、できるだけ長くいて、またいつでも来なさいよ。」と言ってくれた。これまで訪ねたどの家でも同じことを温かく言ってくれたのだけど、毎回しみじみと嬉しいものです。

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 フィジー系の人たちは、親戚みんなで集まってクリスマスを祝う。フィジー系のここぞと言う時のごちそうに欠かせないのは、豚。昨日のヤギと同じように、一頭まるごと解体して、ロボ(フィジー伝統料理)にしたり、煮たり、カレーにしたりして食べるのです。うまいんだなぁ、これが。到着してすぐにお茶(ケーキ付き)、教会に行ってうっとりするほど美しい讃美歌を聴いて、ごちそうが溢れかえる昼ごはん、そしてお茶(もちろん、ケーキ付き)、4_22 しばらく横になった後にヤンゴナ(←写真)、そして晩ごはんまで、とことん食べたり飲んだりし続けた。「フィジーでいいお客さんとされる第一の条件は、こちらが出すものをとにかくよく食べる人。あなたは間違いなく、いいお客さんだ。」と、家長に2回目のお茶の時点でいい客に認定されてしまった。フィジー語でクリスマスは“siga ni sucu(キリストの誕生日)”という言い方をするのだけれど、「今日はsiga ni sucuじゃなくて、siga ni kana(kanaは食べるの意、つまり食べる日)だ!」と家長が言ったように、食べまくった1日だった。

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2006年12月24日 (日)

ヤギカレー三昧

2_48 ほとんどの日本人と同じように、ヒンズー教などのインド系の人たちにとっても、クリスマスはハレの日なのです。朝からインド系大家さんちに呼ばれてケーキを食べさせてもらい、ずっと雨なのでワイサレの家に行かずに自宅にいたら、お昼には大家さんちに間借りして住んでいるインド系夫婦がヤギのカレーを差し入れしてくれた。 そして、夜には学校の同僚、インド系タイピスト宅に招かれて、ピザとまたまたヤギのカレーのごちそう。昨夜からやたらとヤギにお目に掛かる。ヤギはインド系の人たちにとって、ここぞという時のごちそうで、この家でも朝からヤギ一頭を解体したらしい。ヤギそのものは脂身が少なくて、いい味なのだけど、こうもカレーが続くのは、フィジーに来た当初にホームスティをして、噂通り毎食カレーだった時以来で、お腹がどうもおかしな感じです。

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2006年12月23日 (土)

目指すはとりあえずタイ

1_87 朝早くからタウンは、クリスマスの買い物をする人たちでごった返していた。スーパーはカートに物を山積みにした人たちが長い列を作っていて、爆音でクリスマスソングが流れて、見るからに蒸し暑そうで、中に入る気にもならなかった。クリスチャンが人口の半分を占めるフィジーではお正月よりも、クリスマスを祈って、歌って、食べまくって盛大にお祝いするのです。この国は何だかんだ言って豊かだなぁ、と思いつつ、クリスマス前後に招いてくれた家々に持って行くお菓子などの買い物は午後にすることにして、マーケットでバナナとマンゴーだけ買って引き上げた。

 お昼過ぎに、朝からダイビングをしてきたゆみさんが、大荷物を抱えて訪ねて来てくれた。ダイビング・インストラクターとしてアルバイトをしているナンディのリゾートの同僚たちが絶賛していたというサブサブの海も、昨夜からの雨で残念ながら濁っていたらしい。今晩はうちに泊まってもらうようにして、またおもしろい話を聞かせてもらい、夕方には近所のインド系の知り合い宅に一緒に行って、ヤギのカレーをお腹一杯に食べさせてもらった。実は日本のカレーは苦手な私も、フィジーのカレーはすごくおいしいと思ってモリモリ食べているけれど、ゆみさんによるとタイのカレーは辛さの中にもちゃんと味も深みもあって断然おいしいらしい。カレーに限らず、食べものがいちいちおいしいらしい。そんなところに行かない訳にはいかないじゃないですか! 寝室を明け渡して、私はソファに寝ることにしたら、彼女はえらく恐縮していたけれど、タイで面倒をみてもらう確約を得て、帰国したら就職の前にタイ旅行だな、とすっかりいい気分。またまた、いい出会いをさせてもらいました。

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2006年12月22日 (金)

目指すは南極

 2日前に、一人旅をしているという日本人女性にばったり会った。サブサブは首都スバからも国際空港があるナンディからも遠いし、飛行機代も高いし、日本人観光客はあまりやって来ないので、妙に嬉しくなってしまった。これからバスで3~4時間かかる村に行くというので、タイ在住で、サブサブに来る前にはナンディ方面のリゾートで1ヶ月程アルバイトをしていた、ということだけを聞いて、おもしろそうな人だ!と興奮したまま見送った。

 そして今日、村から帰ってきたその女性、ゆみさんが電話をくれて、カフェでいろいろと話を聞かせてもらった。まず、タイのサムイ島というところでダイビングショップを経営していて、雨季になるとこうやって出稼ぎも兼ねて、世界中のダイビングスポットを巡っているとのこと。小柄で、バリバリな雰囲気を醸し出している訳でもないのに、ものすごい行動力。彼女の旅の武勇伝はおもしろくてしょうがなくて、さらに私の家に移動しても話は尽きないのでした。ゆみさんが行ってみたいところは、南極とインド洋に浮かぶセイシェル。南極なんて、一般人が行くようなところではないと思っていたし、セイシェルという国も初めて聞いた。しかも、南極への行き方を調査済みの彼女は「ニュージーランドからだと高いけど、アルゼンチンからだと60万円くらいで行けるんですよ。」とあっさり言ってのけた。この人はいつか南極に行くんだろうなぁ。

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2006年12月21日 (木)

安すぎる水道代

 水道代は3ヶ月置きに請求書が届く。営業時間中に支払い窓口に行っても職員(1人だけ)がいないことが多くて、支払期限当日になった。朝9時、今日はおっちゃん職員がいた。「いつ来ても、いないね。」とでも言ってやりたかった。さて、今回の請求額は6.81ドル(500円)。それに前回払った分が未払い分として加算されていたので、おっちゃんに領収書を見せて、差額のみを払った。いつもは15ドル(1000円)くらいなのに、安すぎ。ちなみに大家さんちは100ドル(7000円)の請求が来た、とラリータが騒いでいたし、以前に私のところに600ドルというあり得ない請求が来て、同僚たちに「大丈夫、支払いのために節約方法を考えてあげる。」と茶化されたこともあった。600ドルといったら、ここでは1ヶ月の生活を余裕でまかなえる額なので、もちろん水道局の手違いだったのだけれど、その度合いがひどい。請求書にしろ、気ままに勤務するおっちゃんにしろ、笑ってしまういい加減さです。

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2006年12月20日 (水)

ぐうたらな日々

 8週間ある夏休みも3週目に突入。3学期の最終週も半分くらいは、クーデターの可能性が高まって自宅待機をさせられたりしたので、このぐうたらな生活をかれこれ1ヶ月くらい続けていることになる。はて、この1ヶ月、何してたかな? あー、恐ろしい…。こんなに時間が有り余っているような時に、帰国後のことなど少しは真剣に考えたらいいのだけれど、現実味のあることをどうも思い描けないのです。困ったもんだ。

1_86  今日はどんよりしていたけれど、久し振りに雨が降らなかったので、夕方、散歩に行った。すたすた歩いていると、知り合いだけじゃなくて、タクシーの運転手までもが「どこまで行くの? 乗せてってあげる。」と言ってくるので、「運動しているんだよ。」といちいち説明をしなくちゃいけない。後になって、「あの時、急いで歩いてたけど、どこ行ってたの?」と聞いてくる人もいる。食事にしろ、生活習慣にしろ、多くの現地人は健康なんてものに目もくれないので、暑い中あえて運動する意味を理解できなくて当然なんだろうなぁ。みんな、食べることに関しては並々ならない熱意をもっていて、太ったおばちゃんなんかがもりもり食べていると、「あー、体に悪そうだけれど、いいからもっと食べて。」と思ってしまうくらい、幸せそうに見える。それもある意味、健康的なのかなぁ?

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2006年12月17日 (日)

姪っ子ちゃん、誕生

 今日も雨。だけど、やっぱり会いに行かなくては、と思ってワイサレの家に行った。彼は風邪を引いているにも関わらずご機嫌で、部屋の隅から私をめがけて走って来て抱き付いては、Tシャツや腕に鼻水をベタッと付けてくれた。それを、何度も繰り返す。だけど、何してもかわいい。さて、家にはワイサレとアサエリ(お父さん)しかいなくて、どうしたのかと思ったら上のお姉ちゃん、ティマが足が痛くて入院していて、エレノアも付き添いをしているらしい。昼ごはんを食べさせてもらってから、ワイサレの家から徒歩5分のサブサブ病院に行ってみた。ティマの足が腫れたり、痛んだ原因は解明されないまま、とりあえず症状が治まったので、明日退院するらしい。そんなので大丈夫なんだろうか…と心配しつつ、すっかり元気なティマとトランプ遊びをして帰って来たのでした。

Dvc00033  昨日、兄嫁の携帯にメールをして判明したのだけれど、3日前に姪っ子が産まれていた。びっくりして、パソコンの前でのけぞってしまった。こういうことを誰も知らせてくれないって、どうなのだろうか? まぁ、母子共に元気なようで何よりですが。少し前から私の両親宅(兄宅との距離は徒歩5分)でお泊り訓練を重ねていた甥っ子は、ちゃんと留守番しているだろうか? 日本を発つ時はわずか4ヶ月だった彼は今では、大人たちが探していたら、犬小屋からごそごそ出てくるようになり、さらに兄になり…2年って案外長いかも。

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2006年12月16日 (土)

夢に終わる

  よくもまぁ、降り続くものです。昨日から見事にずっと雨で、真夏のはずなのに肌寒くすらある。小降りの時に、ちょこっと買い物に出る以外は家で本読んだり、ゴロゴロしたり、ぼーっとしたり、すっかりダメ人間。メリハリって大事なんですねぇ、まったく。そして、クーデター後のごたごたも市民生活レベルではほとんど支障がなくなり、首都在住者を中心として避難していた仲間たちはそれぞれの家にようやく帰った。という訳で、一時帰国の夢が完全に断たれて、何だかがっかり。別にこれまでに帰国したい、と思ったことはなかったのに、何だろう、この惜しい感じ。

 

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2006年12月14日 (木)

南国フルーツ食べ放題

2_47 マンゴーの季節が終わりに近付き、マーケットではアボガド(1ドル、70円)が出回るようになった。日本で見かけるものよりも一回りも二回りも大きい。熟して皮が茶色になるのを待って、パンに挟んで食べると、とてもうまいのです。

3_31  そして、パイナップル(1~1.5ドル、70円~100円)も旬。皮がゴツゴツ、ツンツンした“ブッシュ・パイナップル”と呼ばれるものは、普通のよりも格段に甘くて、いくらでも食べれそうなくらいにおいしい。そんな訳で、安くておいしいパイナップルを毎日のように食べているので、皮も手際よく剥けるようになりました。いい写真が撮れそうだったのに、その辺にいたおっちゃんまで加わった被写体に整列されてしまい、こんな具合になってしまいました。

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2006年12月12日 (火)

海あり山あり

 軍によるクーデターは成功したのか、どうなのか、何ともあいまいな状況。軍の言動に反対する政府の高官が次々と解任されたり、活動家たちが拘束されたりする中、勢いが弱まっていた首相が近日中に首都スバに戻る、と発言したり、政治情勢は不安定と言われているけれど、スバも含めて市民生活はほぼ元に戻ったようだ。日課となっていた、大家さんちで18時のニュースを見ることにも、すっかり飽きてしまった。だけど相変わらず、行動を制限されていて、あっちこっち行くはずだったターム休みが、ただ過ぎていっている。

1_85  まったりした日が続き、あまり眠れない日と、昼も夜も眠ってばっかりの日が交互にやってきて、どうもよろしくない。そこで、夕方1時間ほどの散歩に行く。途中で、お世話になっている社会福祉関係の役人さんに会って、「どこにも行けないんなら、せめてクリスマスはうちにおいで。決まりでいいね? 娘たちに言っておくから。」と招いてくれた。しばらく行って、バスターミナル向かいのお店のおばさんに呼び止められて、「明日、暇? だったら、夕ごはん食べにおいで。」とまたまた招いてくれた。サブサブはいいなぁ、としみじみ思いながら海辺の散歩をした。ただ海があって、山があって、やわらかい人たちがのんびり暮らしているサブサブは、どこか故郷の小さな島に似ている。

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2006年12月10日 (日)

食事は手づかみ

3_30 2週間振りにワイサレに会いに行った。小さい子が長靴が好きなのは、万国共通なのでしょうか? エレノアの髪の毛につかまって「ブーツ、ブーツ!」と言いながら、お気に入りの長靴を履かせてもらって家中を走り回っていた。左腕だけを大きく振って走るワイサレは、それだけで楽しくてしょうがない様子で、そんな彼を見ているだけで私もしばらくの間、楽しませてもらった。

2_46  今日の昼ごはんはダロ芋と、茹でた魚と野菜にミティ(ココナッツミルクに塩、オレンジ、刻んだ玉ねぎ、トマトを加えたもの)をかけて食べる典型的フィジー料理だった。このコンビネーションはすばらしい! 自宅以外での食事はもっぱら手でするけれど、フィジーのごはんは(カレーも含めて)やっぱり手で食べるのがおいしいなぁ、と思ったのでした。

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2006年12月 9日 (土)

久し振りの海へ

1_83 国軍の一方的なクーデターに対して、国内外の反発は日に日に高まっているようだけれど、首都スバでも市民の生活は落ち着いてきているらしい。そして昨日、“自宅待機”が“不要不急の外出、夜間外出の禁止”というものに緩和された。このまま事態が悪化、または長期化するようならば一時帰国もあり得る、と数日前に聞いて、複雑な気持ちになりながらもやっぱり期待していたようで、その夢があっさり遠のいて、妙にがっかりしてしまった。だけど、今日から堂々と外出できるようになったので、勇んでバスに乗って海に行った。

1_84 海水浴やビーチバレーを楽しむ人たちで賑わっているきれいな海辺に、私の学校の生徒、ナイの家はぽつんと一軒だけ建っている。タウンで会う度に、「次はいつ遊びに来るの?」と言ってくれていたナイの両親は、突然訪ねたにも関わらず、大歓迎してくれた。海辺の木陰にマットを敷いてもらって、そこでナイとその兄弟たちと一緒にココナッツジュースを飲んだり、ゴロゴロしたり、あや取りを教えたり。スコーンと青い空ときれいな海を思う存分眺めたら爽快な気分になって、やっぱりフィジーはこうでなくっちゃねぇ、と思ったのでした。

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2006年12月 7日 (木)

非常事態宣言

 非常事態宣言、というのが出された。軍司令官が軍病院長を暫定首相に指名して、勝手に任命式なんかもやって、さらに軍司令官自らが暫定大統領を名乗り出て、軍の言動に反抗するお偉いさんたちを解任、議会も解散すると宣言。一方で、大きな権威を持っている大首長会議の議長はこれらの動きを認めないとしているし、公邸を追い出されて出身地であるラウ島にいる首相は「私が首相だ!」と言い続けている。彼がラウ島に帰った日、ラジオでそのインタビューを聞いたのだけれど、「ここに着いて、まずヤンゴナを飲んだ。」などととてもリラックスしていて、最後に「これから、釣りに行きます。」と言わなくていいことまで言っていて、愕然としてしまった。どうしようもないなぁ、このおっさんたち。

 首都スバでは混沌とした状況が続いていて、さすがに心配しているかと思って、長崎の実家に電話を掛けた。こっちは大丈夫だと伝えたら、父に「そっちの人のごと(ように)、のん気になってしもうて(しまって)。」と嘆かれてしまった。そして、「知らんかもしれんけど、大事になっとるぞ。」と忠告までされてしまった。知らないはずないじゃん…。本当にサブサブはある銀行にバーグラーバーが取り付けられたこと以外に何の変わりもないんだもん。そして、サブサブの人たちも、この事態をどこかよその国のこととでも思っているかのように、いつも通りのんびり暮らしています。

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2006年12月 5日 (火)

クーデターです

  今日ついに、武装した軍が首相公邸を包囲して、「政権を取り上げた。」と一方的に発表した。軍が全国各地で道路を閉鎖して検問所を設けたり、首相や大臣から公用車を没収したり、警察から武器を取り上げたりした一連の行動に対して、周辺のオーストラリアやニュージーランドからは非難の声が上がっている。軟禁状態にある首相は「辞任しない。」の一点張りで、存在感のない大統領は「軍の行動を容認する。」と言ったとか、言わないとか。オーストラリアにいる警察長官も遠くから、「辞任するもんかー!」と言っており、それぞれに言いたいことを言い合っているだけで、これからどう展開するのか、さっぱり分かりません。

 フィジー時間で18時過ぎから行われた、軍司令官の会見の内容があっという間に日本で国際ニュースとして発信されているのにはびっくりした。大層なこととして報道されているけれど、ほとんどの市民は通常の生活をしていて、サブサブに至っては何の緊迫感もない。多くのボランティアが国際空港のあるナンディのホテルに退避している中、ほったらかし的な自宅待機…いつまで続くんだろう?

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2006年12月 4日 (月)

退屈しのぎにハーモニカ

  昨日は見事に一日中、雨が降り続いた。晴れていたら、またのこのことワイサレに会いに行っただろうけれど。さて、新聞によると、「軍がちゃんと仕事をしない警察の代行をする。」と言ってみたり、警察が「首相の誘拐容疑で軍を捜査している。」と言ってみたりたり、首相が「携帯で連絡を取り続けていたし、逃げた訳ではない。」と言ってみたり、アメリカと国連が「イラクからフィジー軍が撤退しては困る。」と言ってみたりしているけれど、情勢には変化なし。はい、日曜日はちゃんと安息日なのです。

 朝、エレノアが職場から電話を掛けてきた。昨日、珍しく顔を出さなかったので、心配してくれたらしい。昨日の昼ごはんはココンダ(魚の切り身をレモンでしめて、玉ねぎやトマトを刻んで加えたココナッツミルクをかけて食べる、言ってみればフィジー流刺身)だったらしく、「何でこんな日に限って来ないんだろうって、ずっとあなたのことを考えていたのよ。」と言ってくれた。彼女が本当にそう思っているのが話し方からよく伝わってくるし、とことん優しい人だなぁ、とまたまた感心してしまった。

 さて、平和そのもののサブサブでも自宅待機継続中で退屈過ぎて、しばらく放置したままだったハーモニカを引っ張り出した。日本から持って来た“複音ハーモニカ入門”という本はとてもよくできていて、音配列をすっかり忘れていたけれど、すぐに曲が演奏ができるようになった。“知床旅情”、“瀬戸の花嫁”、“北国の春”など渋めの曲目が多いのだけれど、日本の歌は深みがあるなぁ、としみじみと思ったのでした。

 今日は少し動きがあった。軍が首都スバ市内の警察2ヶ所で、武器と弾薬などを没収。それから、地方での会議に出た首相の帰り道を軍が封鎖したために、首相は急きょ、ヘリコプターで首都に戻った。軍司令官の言う“クリーンアップ・キャンペーン”がついに始動か? それにしても、早くどうにかならないかなぁ。首都から避難して、ホテルで軟禁状態の仲間たちも大変だろうけれど、自宅待機もなかなかだるくて、退屈。せっかくのターム休みが台無し…という思いがやるせなさに拍車を掛けているようです。

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2006年12月 2日 (土)

サブサブに避難

 「首相がサブサブに逃げてるらしいから、気をつけてよ。ドンパチやったりはしないだろうけれど。」と、昼過ぎにうちの団体の所長直々の電話が掛かってきた。いやぁ、びっくり。首相、あなたが逃げ回っていて、どうする? 近所の知り合いによると、昨日の午前中(軍が示した期限前)に特別機でやって来て、サブサブ随一の高級リゾートに泊まっていたらしい。雲隠れのはずが、ばればれ。一体、何したいんだろう?

 同僚で唯一のインド系であるタイピスト、シャリーが晩ごはんに招いてくれた。自宅待機を命じられた身であることはさておき、徒歩5分ほどの彼女の家を訪ねた。ごはんの前にラグビー中継を見ていたら、うちの団体の職員から携帯に電話が掛かってきた。「次に連絡するまでは、自宅待機することになってますよね? サブサブだからって、安全だと思っちゃダメですよ!」とこっぴどく怒られた。電話を切るなり、私がとるべき行動をよく理解しているシャリーが「こっちが心臓発作を起こしそうだったわよ!」と大笑いしていた。1_82参ったなぁ。さてさて、そんなことより今日はエビカレーをいただいた。この一家はカニカレーや地鶏カレーなどのごちそうの時には、この食いしん坊をいつも招いてくれるのです。ダル豆を中に挟んだ特別版ロティ(小麦粉をお湯でこねて、薄く延ばして焼いたもの)で食べるエビカレーはいいだしが出ていて、文句なしの絶品でした。

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2006年12月 1日 (金)

護衛が6人

1_81 今日で3学期終了。いつもなら先生だけが登校して、ささっと掃除をして、ささっと会議をして午前中で帰るのだけれど、今日はInternational Day for Disabled People(国際障害者の日)というイベントに参加した。朝8時半にメイン通りのパレードが始まる、ということ以外の日程詳細や段取りは当日になってようやく知らされたけれど、まぁ、これがフィジー流でどうにでもなるものなのです。そして、歌ったり踊ったりしている時に、私が所属する団体から電話が掛かってきた。「すぐに帰宅して下さい。次に連絡をするまでは自宅待機(外出禁止)とします。」と。軍が政府に突きつけた9つの要求が今日の正午までに受け入れられない場合は、何かしら行動に出ると軍司令官が発言したためだ。だけど、ここ、サブサブは何の変化もなくて、言い出しにくいなぁ…と思いつつ、メケ(フィジアン・ダンス)が終わるのを待って校長に話してみる。「ちょっと周りを見てみなさいよ。何か起こりそう? これだけ護衛(同僚教師6人)がいるんだから、大丈夫よ。ここにいなさい。」と。サブサブでは何もない確立が高いだろうし、現地の人たちにとって、うちの団体がとっている措置(首都在住者は国際空港のあるナンディに避難、地方在住者は自宅待機)が大げさで滑稽に映るのは分かるのだけれど。結局、帰してもらえずに、退屈なイベントから抜け出せる、とぬか喜びをした。

 正午を過ぎても何もなし。首都でもなし。夕方になってもなし。全くどうなっているんだろうか。そして、つかつかと同僚たちとの打上げパーティーに出掛ける。レストランで見たニュースでは、「軍が示した期限が来週月曜の正午に延期された。」との首相の発言に対して、軍司令官が「期限を延長するなんて、言ってない!」と怒って反論していた。これだけ国民を脅しておいて、のん気にラグビー観戦をしていたことは、すっかり棚に上げていらっしゃるようだ。首相や一部の大臣は軍が示した期限に狙われないように、どこかに隠れていると伝えられるし、どこか間が抜けた感じで混沌としております。どこにも行けない、つまらないターム休みの始まりです。

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